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【歴史の健忘症に抗う】山本浩貴氏【Tokyo Art Beat】より

【アートは常に地球表面での人類の位置づけを最適化しなおす「役割」を担った表現ではないか?】


※喜多研一持論、ついてはタイトルの山本浩貴氏の論考を提示する。


【以下、すべて山本氏の文章より引用】


イスラエル人歴史家の言葉から(イラン・パぺ)

「こういうことを想像してほしい。あなたのよく知る国で、少し前に全人口の半分が1年もしないうちに強制的に追放され、その国の村や町の半分が壊滅させられ、あとには瓦礫と石ころだけが残された、と。あるいは次のような可能性も想像してほしい。こうした犯罪行為がどういうわけか歴史書でまったく説明されず、その国で勃発した紛争を解決するためのあらゆる外交努力は、この大災厄を、無視はしないまでも、完全に脇に追いやっている、と」(イラン・パぺ『パレスチナの民族浄化——イスラエル建国の暴力』田浪亜央江・早尾貴紀訳、法政大学出版局、2017年、24頁)。

【アイヌ民族について】

テッサ・モーリス=スズキは、そうした事象の背景にある要因のひとつは「日本の学校教育の制度が若者たちに、アイヌ民族の長い自律した歴史と北海道の植民地化を含む、自分たちの国の歴史の主要な事実について長期にわたって教えなかったこと」だと指摘し、「そうした歴史的な知識の欠如と、植民地主義の歴史の現在にとっての負の遺産に対する理解の欠如」が事態を悪化させていると論じる(テッサ・モーリス=スズキ「日本の全体的な政治の環境がヘイトスピーチを育んでいる」)

【歴史の健忘症に抗う】

ガザ問題に面して日本の足元を再確認することで見えてくるのは、ひとえにアイヌの存在だけではない。社会思想史が専門の早尾貴紀(著書に『パレスチナ/イスラエル論』[有志舎、2020年]や『ユダヤとイスラエルのあいだ——民族/国民のアポリア』[青土社、2008年]など)は、イスラエルとパレスチナの問題をめぐり、ぼくがその議論からもっとも学んだことの多い論者のひとりだ。早尾は、1932年に日本の傀儡国家として中国東北部に設立された満州国を「東アジアにおいてシオニズムの入植活動と同時期のセトラー・コロニアリズムの事例」(早尾貴紀「ガザ攻撃はシオニズムに一貫した民族浄化政策である——欧米の植民地主義・人種主義の帰結」『世界』2024年5月号、132頁)だと定義する。加えて雑誌『世界』に掲載された早尾の論考では、しばしば欧米諸国の失敗とされる第二次世界大戦中・後の中東分割に関し、「日本は中東の帝国主義的分割について無罪ではないどころか、そこから利益を得た当事国」(早尾「ガザ攻撃はシオニズムに一貫した民族浄化政策である」135頁)である事実が論じられる。

アート界の「先住民族ブーム」の陰で進む、歴史の忘却に警鐘を鳴らす。2024年3月11日に国立西洋美術館で起きたこと、2023年10月7日から——あるいは、もっと以前より、そして、この瞬間も——ガザで起きていること #3 (文:山本浩貴)





※ここから私見【原則的な喜多の視点として】


人類が地球上で二足歩行を始めた時点で、すでに地球上の生命体(特に動物界)のバランスを破壊し始めたのは明らかだし、こと16世紀の大航海時代以降は、さらに加速度的に「人類内の自己闘争」を経た「敗者と勝者」による社会形成が進んだ。
それは、現在も続いているし、誰も止めようとしない。民主主義というツールは、ある程度、そういった弊害をコントロールしたかのように見えたかもしれないが、本然的に有している「人類の性癖・習性」に、どこまでもメスを入れ続けなければ「異端児たる二足歩行の人類の暴走」は止まらない。

仮説として云えるのは、地球上の動物社会にの中において「人類のみ」天上の存在のように「無意識下」に振舞っているのが、適切な位置づけだろうと感じている。誰がそれを見ているのか?
それは動物研究や植物研究の専門家が明らかにする役目があると感じている。

この土地や資源は誰のものでもなく、必要な生命体が必要な分量と質量だけ他の動物や生命体と交錯しながら、バランスを保っている。これを破壊し続けているのは、実際のところ「人類自身」だし、それを「生態系を回復」するという事案自体も、かなりの上から目線で我々人類が「偽善的」に振舞っているものだ、という見地に僕は立っている。

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