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〈シンガポール雑記帳〉その1

 運よくサバティカルがとれたので、研究専念の時期と謳われてもいるし、映画研究にかかわっての海外での経験値をちょっとでも膨らまそうと企んでみた。その雑記帳、あるいは備忘録である。

 振り返ってみれば、大学院の時期を北米はニューヨークで、次には、10年ほど前にあった最初のサバティカルは狭い意味での欧州ではないものの英国はロンドンで、ありがたいことに過ごすことができた。北米、欧州ときたので、次はアジアかなと漠然と考えてみた。
 東アジアも選択肢のひとつではあったのだが、青木保の書物で東アジアと東南アジアではずいぶん文化の有り様が違うと述べられていたこともあって、彼の地への興味が増し、とりわけシンガポールにはここ10年ほどは毎年のように訪れてもいた。
 シンガポールは誰もが知るようにその発展がめざましい。赴くたびに目眩がするほどだ。一度じっくり腰を据えてみてみたいものだとつねづね思ってもいた。近隣のタイやマレーシアもインドネシアもあとへつづけとばかりの発展ぶりをみせている。

 興味が湧くのは、けれども、そうした派手なうわべの賑やかさからではない。むしろ、自らの専門領域と一応は主張したい映画事情に関してはからっきしの無知で、まことに情けないかぎりなので、そのギャップに焦燥が掻き立てられるのだ。
 誇らしくも、とかつて筆者がえらそうに「指導」していた、元ゼミ生の中村紀彦さんはいまやタイはアビチャッポンの専門家としてならしている。少なからずの嫉妬に駆り立てられもする。
 そんなこんなで、これではいかんと思い立ち、そうだ、この一年は、シンガポールにできるだけ足を運ぼうと決意した。日本にいるべき事情もあるので、行ったり来たりを繰り返してでも、だ。

  とはいえだ、誤解のないように記しておこう。

 ロードムービーは好きなのだが、旅人に対するロマンティシズムはさらさらない。旅を語る余裕など我が人生には微塵もないからだ。ましてや、アジアへの憧憬といった想いはキナ臭さしか感じえず、まっぴらごめんだ。関係ないかもしれないが、筆者は恥ずかしながら、『深夜特急』は読んでいない。
 さらにいえば、アカデミズムで前世紀末に流行った「ディアスポラ」という言葉も惹かれるところはない。その語源上の出自はともかく、いまの世界で発展国側で大学教員が「わたしたち、ディアスポラ」とか話しているのをみると、なんだかなあという感触しかない。どこかへ逃げ出すことなどと簡単にいえるのはお金持ちの戯言にすぎないと誰かがどこかでいっていたと記憶するが、まことにまことにである。
 旅人にはなるには日々の職業がしっかりと固定している給与生活者であるし、一方では、サバティカルなどという恵まれた制度を活用できる境遇に生きている大学教員である。それが自分の事実だ。そのなかで、はたしてそうした境遇の制約のなかで境遇に見合うだけ、何をどこまでできるか、精進してみるしかないのではないか。フランスに行きたし、フランスは遠し、というほどの文才もないのだから。

 とはいえ、とはいえ、筆者を駆り立てているものをもう少し補っておこう。
 やれグローバル化やらやれ国際化やらと謳われているものの、実際は何がどう起こっているのかについてはとんとわからないままであるという自分の見地の狭さかもしれない。地政学的リスクや反動的ナショナリズムやらといった言葉も同じで、紙面、いやモニタ画面の文字列や画像でしか理解できていない。
 もちろん、筆者は政治学者でも経済学者でもない。その辺りについてはそもそも無知の極みにいる人間であるし、急いでいっておけば、生のフィールドワークの有効性を無前提に信じるには、良くも悪くも人文主義的である。

 早い話が、こうだ。
 映画をはじめとする創造表現はこんにちどのように蠢いているのだろうか。グローバル化した映画などというものはあるのか。反動的ナショナリズムを担う映画などというものがあるのか。たとえそういったものがあったとしても、現在、映画をめぐる状況はそうした、〈グローバルvsローカル〉といった対立ないしスペクトラムで捉えうるものなのか。
 そんなことを考える手がかりがないものかと、ないものねだりのなかで右往左往しているばかりな状況を、なんとか踏み出ていきたいのである。

 北米や欧州で学んだあと日本の言説のなかで勉強していると、〈グローバル・ハリウッド〉vs 〈欧州のアートシネマ〉vs〈地域に根差しす娯楽映画〉という図式にどんどん陥りがちになってしまう。
 そもそも映画は、そんなカテゴライズを軽々と飛び越えていく軽やかさをもったものではなかったのか。だからこそ、筆者も研究生活を賭ける考察対象としたのではなかったか。そんなことを考えたりさえする。
 そんなふうにあれこれ想いをめぐらし、そういう想いをめぐらす自分をさらに過激化させてくれるかもしれないと夢見て、まるでよくわかっていない東南アジアの国に飛び込んでみたいと思ったのだ。大きな哲学的な構えなどないが、通りすがりの旅人にもなりたくない。ナショナルなものからの逃走を気取るディアスポラはごめんだ。少しでも長く少しでも根を下ろす暮らしのなかで、己の思考に揺さぶりをかけてみたいと生活の拠点を分散させてみたいと企てたのである。
 
 華やかな発展の傍らで、シンガポールや東南アジアではどんな映画がつくられ、どんな具合にひとびとはそれを楽しんでいるのだろう。

 そんなこんなを映画研究者が書き散らす、雑記帳である。

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