見出し画像

ドライブインなみま|小説 かつ丼編


紙風船みたいな男だと思っていたら、本当に紙風船だった。それを膨らませて地面へ着地させないよう注意しながら、高く高く空へ向かい投げていたら、風に吹かれてどこかへ行ってしまった。

ウェディングプランナーの緒方さんが慌てた様子でバタバタと走り回る音が控え室まで聴こえてくる。私以外のひとがパニックになっているのに私はやけに冷静で、大きな鏡に映る自分と視線を合わせ、この状況を俯瞰すると笑えた。

「あのー、清水様、ご新郎の井崎さんがお見えになっていないのですが──どこにいらっしゃるかご存じでしょうか?」

ヘアメイクを終え、純白のウエディングドレスを着たばかりの私は、ユウタの携帯へ連絡した。電話は繋がらず──ずっと繋がらず、いまに至る。

すると、珍しくおかんが慌てた様子でおとんの遺影を抱えたまま控え室へやって来た。

「ちょっと!ユウタさんまだ来てないの?一体どうしたん!?」

おかんは、気が動転しているのだろう、結婚式開始時刻を10分過ぎても新郎が来ていないことに狼狽えて、おとんの遺影が逆さまになっていた。すると、私の携帯がブルッと震えた。それはユウタからのメッセージだった。


茜とは結婚できん。ごめん。


ただそれだけだった。その文章を二回読み返して力なくおかんへ携帯を手渡すと、それを読んだであろうおかんは、気絶した。その場へバタンと倒れたのだ。私は、急いでおかんへ駆け寄ると、おかんはいきなりスクッと起き上がり

「あの男!ぜっっったいに許さへん!ぜっっったいにいいいいいい!」

と、叫んだ。その大声に緒方さんとスタッフの方々が一斉に押し寄せて、暴れるおかんを数人で制圧した。息が荒いおかんは、さすが猪年なだけあるなあ、と感心しながら私は、緒方さんにその事実を伝えた。ひとは、心底驚くと絶句するのだろう、緒方さんは、「ブヒッ!」と豚鼻を鳴らして黙った。緒方さんは何の言葉も出てこない様子だったので、私は

「あの、すみません。緒方さんには良くしていただいたのに、こんな結果になり申し訳ないです。このことを来賓の皆さまへお伝えしようと思うのですが、式場へ移動してもよろしいですか?」

と、伝えた。すると、緒方さんは、ハッとした様子で

「私が代わりにお伝えしましょうか?」

と、提案してくれたけれど、私は

「お心遣い、ありがとうございます。けれど、これは、私の責任でもあるので、私からお伝えします。」

と、足元へ落ちていたおとんの遺影を拾い上げて埃を払い、そっとおかんへ手渡して、そのことを伝えた。すると、おかんは、ポロポロと大粒の涙を流しながら声を上げて泣いた。その姿に、周りにいたスタッフの方はおかんへ寄り添い、その背中へそっと手を置いた。

「じゃあ、行ってくるわ。」

私は、そう言い残して、緒方さんと控え室を後にした。式場へ向かいながら、この悲惨な状況下でなぜ自分が平気でいられるのかわからなかった。

普通は、おかんのように暴れたり泣いたりするものなのかもしれんなあ。

そう思いながら式場のドアの前へ到着すると、緒方さんが

「では、ドアをお開けいたします。」

と、ドアへ手をかけた。バタンッと開かれたドアの内側から一斉にこちらへ視線が集中した。すると、パイプオルガンの厳かな音色が響き渡り、一瞬拍手喝采が起きたが、ドア前には私しかいないことに拍手は疎になり、式場はざわざわしてパイプオルガンの奏者の手も止まった。そして、私は、ひとりでバージンロードを歩いた。すると、ざわざわしていたひとたちも、ひっそりと黙って私の動向を注視していることが肌感覚でわかった。

私は、キリスト教ではないけれど、クロスへ向かいお辞儀をした。そして、ゆっくりと振り返ると、その場にいた全員が私を見つめていた。

「みなさま、お待たせいたしまして、申し訳ありません。そして、お集まりいただきまして、ありがとうございます。この度は、私、清水茜と、新郎井崎雄太の結婚式を執り行う予定でしたが、諸事情がありまして、この結婚式は辞退させていただくことになりました。誠に申し訳ございません。」

そう言って頭を深く下げた。すると、隣にひとの気配を感じて見ると、おかんとユウタのご両親も一緒に頭を下げていた。頭を上げると、またざわざわとした空気になったけれど、お義父さんが一歩前へ出て

「みなさま、大変お騒がせをしました。私は雄太の父です。この度は、申し訳ありません。雄太がすみません、でした──」

と、そう言うと、肩が小刻みに震えていた。その悲しい声に会場はまた静まると、緒方さんが駆け寄り

「本日のご予定は、中止にさせていただきます。みなさま、挙式に際してお忙しい中、日程調整をしていただきましたが、このような事態になりまして、本当に申し訳ありませんでした。何とぞ、ご理解下さいますよう、よろしくお願いいたします。」

そう言うと、頭を深く下げたので、私たちも同じように頭を下げた。すると、他のスタッフの方々が来賓者を出入り口に促している声が聴こえた。私たちは、頭を上げると、ばらばらと席を立ち式場から外へ出て行くその後ろ姿にまた一礼した。

そのあとは言うまでもなく、悲惨だった。

ユウタが蒸発したため、ユウタのご両親と話し合った結果、結婚自体を取りやめることになった。ご両親は「申し訳ないです。」「ごめんなさい。」「あの子を許さない。」と泣きながら話したけれど、その際も私は涙ひとつ出なかった。ただ、心がパサパサと渇いていく気がしたけれど、それは、単なる失恋の余韻だと感じた。そして、いつからユウタは、私との結婚を拒んでいたのか、そのことに気が付けなかった自分自身に腹が立った。いまとなっては、あのやさしい笑顔も、低い声音も、きれいな指も、笑うと見える八重歯も、顎のほくろも、忌まわしい過去へ変化した気がした。

私は、ユウタがどこに居るのかもわからずに、一週間の休暇を経て、前と変わらない日常へ戻った。

そこで私は、予想していたけれど、驚くほど腫れ物のような扱いを受けた。友人も私へどう接したらいいのかわからない様子だったし、職場でもあからさまに居辛くなり、退職せざるを得ない状況となった。

なんか、初めから寿退社した方が良かったな。

そう思いながら荷物を片付けてあっさりと辞職した。この職場に対して思い残すことは何もなかったし、職場のひとは「頑張ってね。」と声をかけてくれたけれど、それが本心ではないことを悟っていた。なぜならば、裏では私のあだ名が「ひとり夢芝居」になっていたから。

うまいな!山田くん!座布団一枚!

そう思いながらも、そのときに私自身のメンタルがタフなことと、感情が低温なことを知った。昔からそうだった。身体の内側では思っていることや感じることは溢れるほどあるのに、その発露が外側へ出ないだけで「茜ちゃんは、クール。」と言われていた。クールとは聞こえはいいが、希薄だ、と言われているように思えた。

そんな私を見て、おかんは

「あんたは、強い。ほんまに強い子や。」

と、そう言って自慢していた。

おかんは、あの日からよく泣くようになった。糸屑が落ちていても、蟻が地面を這っていても、犬の散歩を見ても泣いた。おかんの琴線に触れるものがわからないけれど、その原因は私が作ったことは、承知している。

「何で泣くねん。泣くんやめてや。」

私がそう言うと、おかんは余計に泣いた。そして

「だって、ひとり娘をこんな酷い目に合わせて、あの男!許さなへん!ぜっっったいにいいいいい!」

と、ハンカチ噛み切るくらいの勢いだ。そして、恨み節を言ったあとには、しくしくと泣くのが恒例となっている。

その恒例が終わったあとに、私が「お腹空いた。」とつぶやくと、おかんは「じゃあ、ひさしぶりにドライブインなみまへご飯食べに行こうか?」と、言うから私は「うん、行こう。」と、おかんを見ると、目が涙で赤くなっていた。そのことを伝えたらおかんは、ファンデーションで目元を隠してから「ほな、いこか。」と、家を出た。

車で少し走ると海岸沿いへ出てすぐにドライブインなみまが見えてきた。ドライブインなみまは、私が生まれたときからある飲食店で、潮香る海岸の近くにあった。とても広い駐車場にひっそりと建っている。店のシンボルのような背の高い椰子の木が看板横へ植わり、その青々とした葉をしゃらしゃら鳴らせていた。

駐車場へ車を停めて、おかんと店へ向かうと、入口の横には食品サンプルのショーケースがあり、その横で行列ができていた。私たちは、その行列の先頭にある予約表へ名前を書いて最後尾へ並んだ。

20分後に店内へ入ると、その内装は、昭和レトロな雰囲気があった。机や椅子や本棚へは、時間というスパイスが染み込み、それがいい風味となっている。全体像を見渡すと、ミッドセンチュリー 調で統一されていて、とても懐かしいさを感じた。

すると、私たちを見た店主の由美子さんが私たちを見て

「あ!久しぶりい!どうぞ、どうぞ、暑いやろ?はよあそこへ座りい!」

と、窓際の席を指差したので、私たちはそこへ行き座ると、その後ろから店員さんがお冷とおしぼりを持ってきてくれた。私たちは、メニュー表を見ずに

「かつ丼をふたつ、お願いします。」

と、頼んだ。すると、店員さんは「はい!」と元気に返事して注文を取り、席を離れた。店は繁忙期を迎えた様子で、その活気から夏祭りのような生命力を感じた。すると、ふと、心の中でおとんの声が聴こえた。

「かつ丼食べたら、いろんなことに勝つねん。辛いことも、悲しいことも、腹立つことも、ぜーんぶ、かつ丼食べたら、ちゃらになんねん。」

私は、ドライブインなみまへ家族三人で来てかつ丼を食べたことを思い出した。

「かつ丼食べたら、いろんなことに勝つねん。」

私がぽつりとこぼすようにつぶやくと、おかんは

「うふふ、それ、おとんの口癖やん。懐かしいなあ。」

そう言って泣きそうになったから、私はバッグからハンカチを取り出しておかんへ手渡した。おかんは、それで目頭を拭いながら静かに窓の外を眺めた。すると、店員さんがかつ丼をテーブルへ並べて

「では、ごゆっくりなさってください。」

と、かわいい笑顔を見せて席を離れた。私は、ゆっくりと丼の蓋を開けると甘い出汁の匂いが香り、食欲を刺激する。私たちは、いただきます、をしてからかつ丼を食べた。口腔内に広がる濃ゆい出汁と厚みのあるかつを咀嚼すると、嫌なことを忘れられそうなくらいの美味しかった。黙々とかつ丼を食べて、お吸い物をいただくころには忘れていた小さな幸せを感じた。

私は、満たされながらレジの辺りを見ると、チラシが貼ってあった。


店員募集!一緒に働きませんか?

 
それを見ていたら、おかんも私の視線を辿ってチラシを見たのだろう。

「あれ、ここ店員さん募集してるんや。」

そう言ってからズズズとお吸い物を啜った。

「私、ここで働いてみようかな。」

何も考えずに、身体から言葉が溢れた。すると、おかんは、自然に、ラフに、でも芯がある声音で

「いいやん。働いてみたら?」

と、つぶやいた。さっきまで満席だった店内もひとが疎になっていた。ちょうど私たちの近くを由美子さんが通ったので、呼び止めてここで働きたいことを伝えた。由美子さんは、最初は驚いた様子だったけれど、隣の席の椅子をこちらへ持って来て座り、私の話を聞いてくれたあとに

「そう!嬉しいわあ。茜ちゃんがここで働いてくれたら、私、助かる。ありがとう。」

と、そう言ってから、レジへ行き用紙を取り出してこちらへ手渡してくれた。そこには、労働条件が書いてあった。由美子さんは

「ここは、お昼時にはめっちゃ忙しくなるけど、スタッフもいいひとばかりやし、頑張れると思うよ。」

と、笑顔で仰った。それから、来週から働き始めたいことを伝えると由美子さんは頷きながら「よろしくね。茜ちゃん。」と、握手した。その手は、温かくて働き者の手をしていた。すると、それを見ていたおかんは、ひとりで泣き始めて、私が先程手渡したハンカチで涙を拭った。それから、私たちは由美子さんと世間話をして、店を後にした。

「あんた、頑張りや。生きてればなんとかなるからね。」

おかんは、車を運転しながら、そうつぶやいた。私は「うん。頑張る。」と伝えた。

私は、環境から変えていこうと思った。この波乱に満ちた道を整えれば、何か生きる糧を見つけれるような気がした。胸の奥の傷はまだ生々しくて痛いけれど、私なら乗り越えられそうな、微かな希望があった。

ドライブインなみまで働き始めると、覚えることがたくさんあったけれど、スタッフの方々もやさしく丁寧に教えてくれた。一生懸命に働いていたら、私が新郎に逃げられた過去なんてどうでも良くなっていた。

ある日の午後、ゆったりした時間帯に外へゴミを出しに行ったら、後ろから「茜。」と声がかかった。私はとっさに振り返ると、そこには、髭がだらしなく生えたユウタがいた。紙風船のように飛んでいった男が、申し訳なさそうに立っていた。ユウタは

「あの、ほんとうにごめんなさい。許されようとは思いません。僕がしたことは、最低なことです。だからこれは、償いです。」

と、分厚い茶封筒を手渡して来た。私は、それを見ると、瞬間湯沸かし器のように怒りが込み上げた。

「いらん!そんなもんいらん!いらんから、私の前から消えて!紙風船みたいにどこへでも飛んでいけばいいわ!私は一生許すつもりもないし、このできた心の傷は治らへんねんで!もういいから、帰って!」

いつも冷静だった私はそこにはいなくて、ただ次から次へと溢れてくる憎しみと怒りに我を無くした。熱い痛哭が頬を通り越す。すると、私の後ろから「どうしたん!?」と、声が聴こえてきた。ふと、振り返ると由美子さんだった。その姿を見ると、ズンズンとこちらへやって来てこの場の状況を察知したのだろう、ユウタへ向かって

「とりあえず、帰っていただきますか。うちの大切な従業員を泣かすなんて、私は許しません。」

そう言って、私の背中に手を置いた。すると、ユウタは「すみませんでした。」と頭を下げて姿を消した。私は、泣きながら由美子さんに「すみません。」と、謝ると由美子さんは

「なんで、茜ちゃんが謝るんよ。謝らんでもいいねんで。」

そう言ってから、間を取りこう言った。

「茜ちゃん、いま、苦しいし、辛いなあ。よくひとりで耐えてきたね。よう、頑張ったね。頑張った。」

そう言いながら、私の背中を摩ってくれた。そして、私が落ち着いたころ、由美子さんは、やさしく抱きしめてくれた。

「あのな、ここでは、私が茜ちゃんを守るから、だから辛いことがあったら、いつでも話、訊くからね。」

由美子さんは多くを語らずに、そばにいてくれた。私は

「なんでここのひとたちはみんなやさしいんですか?」

と、つぶやくと由美子さんは

「それはな、周りがやさしくなったと感じれるようになったら、自分がやさしくなった証拠やねんで。」

と、ゆっくりとつぶやいた。そして、由美子さんは

「じゃあ、落ち着いたら店に戻っておいで。」

そう言って店へ戻った。

私は、夕凪が漂う時間帯に海を見ると、水面は夕日にテラテラとたゆたい、美しかった。

少しして店へ戻ると、スタッフのみんなで賄いを食べていた。私に気がついたリンちゃんが

「どこへ行ってたんですか?今日の賄いは、茜ちゃんの好きなかつ丼ですよ。」

と、嬉しそうにつぶやいた。私は、席に座り、いただきます、をしてからかつ丼の蓋を開けて

「かつ丼食べたら、いろんなことに勝つねん。辛いことも、悲しいことも、腹立つことも、ぜーんぶ、かつ丼食べたら、ちゃらになんねん。」

と、つぶやくと、みんなが「なにそれ!」と言いながら一緒に笑った。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?