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真夜中に 常識のない喫茶店


夜が脈打つ。ドクドクドクと耳に響く粘っこい脈動を感じ、それ以外の音はなく、ただ静寂が佇んでいた。すると、外から「たろ〜ん!たろ〜ん!」と、摩訶不思議なオス猫の声音が聞こえてきた。それは、静寂を軽々と引き裂いて、空間へ存在を誇示していた。なんだか、昼間に軽トラで現れる「♪竿竹ぇえええええ、竿竹っっっ!」のような勢いのある声音に似ていて、近付いたと思ったらだんだんと遠のいていった。ふと、布団の上で「の」の字になって眠っている愛猫を見ると、オス猫の声音を無視して深い深い眠りに落ちていた。私は、そのいとおしい姿を見てから、瞼を瞑るけれど、眠れなくて。夜と自分との境界線のあいまいさに気分が楽になるけれど、意識はハッキリとしているので一層のこと起きてしまおうと、夜の底にストンと腰かけた。こういうときは本を読もう、と闇に順応した眼で本棚の前へ移動して目を瞑り、人差し指で本の背表紙をなでながら安定のドラムロールを口にする。「ドゥルルルルルルル(結構リアル)。ジャンッ!」と言いながら目を開けて、本を取り出してから照明を点けた。ぐらっとした眩しさを感じて目の奥がジンジンする。闇に溶けていたものが色を取り戻したように、発色していた。薄目で手元の本を見ると、エッセイ集『常識のない喫茶店』だった。



常識のない喫茶店  
著者 僕のマリ
発行 柏書房

ある日、嫌いだった常連の訃報を聞いたとき爆笑した。わたしにはそういうところがある。ヤフーニュースにも載るほどの著名人であったようだが、店員目線で見れば、むしろよくいままで殺されたりしなかったなと思った。そのくらい店では嫌な奴だった。


頁をめくると、冒頭からぶっとんだ実直な言葉に「ああ、好きだな。」と思い、丁寧に読み進めていく。

この本は喫茶店で働く僕のマリさんのエッセイ集で「お客様は神様。」だとか、そういう容易い店ではないエピソードが魅力的な内容になっている。非常識な客には、はっきりと「出禁です。」と告げることのできる良識な店なのだ。日本の接客業界ではお客様至上主義が定着している中、非常に異色な喫茶店での出来事がときにポップに、ときにビビッドに、ときにシリアスに書かれている。さらさらと清水のように流れる表現豊かな文章を拝読してしたら、途端に呼吸が苦しくなり、ズバッと体を斬られたような気がした。


大学時代、居酒屋のバイトをしていたときに、酔ったサラリーマンの集団に「お姉さんは俺たちの中で誰と付き合いたい?」と聞かれて(お前ら以外だよ)と思ったことがある。…中略…こういう目に遭うたびに、「もし自分が女じゃなかったら」と思ってしまう。

お仕置きです より抜粋。


私は「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。」と、思っていたけれど、いつしかそれを楽しむ知恵を授かり、色々な出来事をなるだけ笑いに変換して生きてきた。けれど「これやから女は…(意味のない臭いため息)。」とか「女じゃ話にならん!」とか性差のことで難癖を付けられたり、コートの下は全裸だった季節感のない男性の変態に出会したり、伝書鳩飼えばいいのにと思うくらい手紙を送りつけてくるストーカーに遭ったりしたときは、笑いに変換することが出来なかった。

「ああ、私が女だからこんなにナメられるんやな。」

と、そう思えば思うほど、その言葉は宇宙みたいに膨張して私の中で暗く残響した。いつしか根幹にある「女だから。」という事実は、仕様がない憤慨の塊となり、何処へ打つけるでもなく、心の片隅で呼吸し続けていた。しかし私は、それらと戦うことを諦め妥協して「女だから仕方がない。」と口を噤むようになっていた。腫れ物のようなそれには、なるだけ触れないようにそっとして、淡々した日常を生きることに集中し、そんな時間軸で生きていた。けれど、このエッセイを拝読していくうちに、腫れ物がパチンと音を立てて飛び散った。経験したことのある憤慨がふつふつと湧き、共感の嵐が吹き荒れた。何処に打つけるでもなしに、放置していた腫れ物から膿が垂れてくる。

私はあのとき、なんで言い返さなかったんだろう。

そう思った。この本を手に取るまでは、自分さえ我慢すればいい、遣り過ごせばいい、と小さく凝り固まっていた。理不尽なことに目を瞑り、沈黙することで自分を守っていたはずなのに、それが仇となり自分自身を殺していたのだ。嫌なものは何があっても嫌だという当たり前のことすら、気が付かないほどに心は麻痺していた。無性に自分の頬を引っ叩きたくなったけれど、それよりもエッセイの続きを拝読したくて堪らない。文字を追う速度は一気に上がった。そして、読後には、爽快な風が吹き抜けるような心地がした。

このエッセイ集は、フェミニズムに斬り込んだり、嫌いな客には塩対応をしたり、客と喧嘩したり、客に巧妙なあだ名を付けたり、愉快な同僚やマスターの話など、懸命に自分らしく働く(生き抜く)大人のためのエピソードだった。私はいま、ランナーズハイのような状態でこの文章を書いている。この『常識のない喫茶店』の熱気が少しでも伝わればいいなと願う。そして、いまの私には理不尽なことに遭ったなら「ふざけるな!」と、猛獣のように叫ぶことが出来ると思う。やはり何歳になろうが、「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。」けれど、いまはその無鉄砲さが戻ってきたようで、少し嬉しい気分だ。

時計を見ると、午前三時を回っていたので、慌てて布団へ潜り込み、狂った春を思いながら、意識は深く深く落ちていった。








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