見出し画像

アンドロイドの遺伝子

「その扉をあけてやったら俺にも一杯飲ませてくれるか?」

 緊急システムによってルナシティから締め出されてしまったアリスたちに声をかけてきたのはコーネルだった。

「猿野郎」

 オズワルドが怒りの目を向ける。つい先ほど、地球の支配者が自分達であることを宣言したのが、目の前にいるニューエイプのコーネルなのだ。チンパンジーの遺伝子を改良して作られた彼らの肉体は強靭であり、脳の容量も人間より多くポストヒューマンとしてふさわしい。宣言をした時のコーネルの姿は、それが正統であることを物語るように堂々としていた。だが、今目の前に立つ彼の姿はどこか力なく見えた。

「あなたを信用する理由がない」

「なら、勝手に通らせてもらう」

 アリスが厳しい視線を送る中、コーネルは気密扉のロックに近づくと握っていた物をセンサーに押し付けた。それは真っ白い手首であった。戦闘で千切れたゾンビ兵の手のようだ。ロックが手首を認識すると一瞬白い光が明滅したが、すぐに解除失敗の赤いランプが点った。ディスプレイに「生体情報が読み取れません」と表示されている。

「おい、俺たちをおちょくっているのか?」

「こいつは死んだから許可されなかったということだろう」

「ふざけんな。初めから嘘だったんだろう」

「嘘じゃない。俺はやつらがこうしてロック解除するのを見たんだ」

 オズワルドの言葉にコーネルが言い返す。二人の間に緊迫した空気が流れた。

 その時大きな音がして近くの壁が崩れた。崩れた壁から飛び出してきたのはモーキーのトンネル掘削機だった。

「ありゃ、アリスじゃないか。こんなところで何をしているんだい」

 だが、モーキーはコーネルの姿を認めると慌ててトンネル掘削機をUターンさせ始めた。コーネルのメッセージを見ていたのだろう。

「待って。私たち気密扉の向こうに行きたいだけなの。その機械なら穴を開けられるでしょう?」

 モーキーが警戒した目で見返す。

「そりゃあ掘削機だから穴を開けるのはお手のものだけど、そいつは危険なやつなんじゃないのかい。なんでそんなやつと一緒にいるんだ」

「それは……」

「俺はついさっきクビになったところだ。一番危険なのはあのオスティアリウスってアンドロイドさ。俺たち全員を思い通りに動かして戦わせている」

 コーネルが答えた。

「信用できねえな」

 オズワルドが言う。

「だが、先ずはそのオスなんとかって野郎をぶっ飛ばすのが先決ってわけだ」

「そのためにはルナ解放戦線のナルミと話をする必要がある。私たちは今争っている場合じゃないの」

 モーキーが肩をすくめる。

「よく分からないけど、穴を開ければいいんだね。まあ、それくらいなら手伝うよ」

 トンネル掘削機の前面ドリルが勢いよく回転を始めた。その特殊合金の刃はあっという間に気密扉のあった場所に巨大な穴を開けてしまった。モーキーはひと仕事終えると手元にあったウィスキーボトルを取り上げ瓶から直接一口含んだ。ラベルは『ダラスデュー』と読める。

「あっ!それは隠しておいた俺のウィスキーじゃねえか」

 モーキーがばつの悪そうな顔をした。

 ゲン爺はポットスチルから抽出されたニューメイクのウィスキーを口に含んだ。だがそれは味わいどころの話ではない、苦味とえぐみばかりのひどい代物だった。

「ぶへえ。なんじゃこりゃ」

 ゲン爺は口に含んだウィスキーを吐き出すと恨めしそうな顔で小さなポットスチルを見た。何度目かのトライであったが未だにウィスキーと呼べるような味に辿り着けなかった。ポケットから取り出したメモには製造の手順が書かれている。アリスが書き残したものだ。だがコーネルたちに襲撃にあった際に撃ち抜かれて半分焼けてしまった。肝心のアリスは連れ去られてしまうし、ポットスチルは穴だらけになってしまった。なんとか穴だけは塞いだが、ウィスキーは見よう見まねだけで作れるものではなかった。ゲン爺はまいったとばかりにため息を吐いた。

「どうしたものか……」

 突然部屋全体を揺するほどの振動があり電灯が明滅した。続け様に複数の靴音がどかどかとなだれ込んできた。

「我々はルナ解放戦線だ。両手を上げて大人しくしろ」

 数名の兵士がゲン爺を取り囲み銃を向けた。その兵士たちの後ろから鷹揚な動きで男が一人現れた。優しげな顔つきであるがその眼光は鋭く隙がない。ルナ解放戦線のリーダー、ナルミだった。

「やあ、ゲン爺。こんなところに隠れて何をしていたのかな」

「あんたが戦争を始めたから避難しただけじゃ」

 ナルミは自分の背丈ほどのポットスチルに歩み寄るとそのネックのあたりをなでた。

「ほう。これでウィスキーを作るのか。初めて見た。意外と小さなものなのだな」

「それは特別小さい。普通はもっとでかい。それより何しに来たのじゃ。ワシは忙しい」

 ナルミが隙のない視線を向けた。

「それでは本題に入ろうか。アリスと一緒に持ち出した物があるだろう」

「熟成樽のことならあんたの友達が撃ち抜いて月面にぶちまけちまったよ。文句があるならコーネルに言いな。よりにもよって月面基地内で戦争を始めるなんていかれとる」

「樽が壊れたのは知っている。途中で見たからな。それとは別に小さな樽がひとつあるはずだ。アリスが作った最後のウィスキーだ。それを渡してもらおう。しらばっくれても無駄だぞ。樽があるのはわかっている。その樽は私が渡したものだからな」

 どうやら隠しても無駄なようだ。

「最後だと分かっていてなぜ取り上げる。新しく作る指針になるものがなくなってしまう」

「新しいウィスキーはできたのか?」

 ゲン爺の顔が歪む。どうして飲んでばかりいないでちゃんと作り方を学ばなかったのかと悔やんだ。

「もう新しいウィスキーが作られることはない。地球から輸送されることもない。今お前が持っている物がここで最後のウィスキーかもしれない。その価値は計り知れない」

 ナルミが手を差し出す。

「さあ渡せ」

 ナルミが、銃を持った彼の部下たち全員が見ている。ゲン爺は力なくその場に座り込んだ。

「奥にある」

 ナルミが指示を出すと奥ですぐに見つけたという声がした。ナルミが赴くと樽は棚の奥に押し込まれて物陰に隠されていた。片手で持てそうなほどの大きさしかない。ナルミは邪魔な物をどかした。そして樽の手前に横たえられた一振りの黒剣をどかそうと鞘を握った瞬間、稲妻に打たれたかのように全身が硬直した。続いて右腕を目に見えない蛇のような何かが這い上ってくるのを感じた。

 その黒剣がアリスの斬霊剣だということをすぐに理解した。人のエネルギー場、つまり人格や魂といわれるものを切ることができる剣と聞いたことがある。斬霊剣に宿っていた目に見えぬ蛇は口を目一杯に開いてナルミの喉笛に食いついた。そのまま喉を食い破り体内に侵入してきた。もちろんそれが幻想であることはナルミ自身分かっていた。それでも斬霊剣から伝わってくる何かエネルギーのようなものが、体の内側から本能的な恐怖を呼び覚まし畏れさせた。

 やがて蛇は血管という血管を駆け巡り遂にはナルミの心に食いつき溶けるようにして融合した。ナルミはそれ以上斬霊剣を握ってはいられなかった。

「ぐわあ」

 思わず尻餅をつく。手が震えていた。ナルミはもう樽には目もくれず、部屋を飛び出してゲン爺の胸ぐらを掴んだ。

「お前が作った物を出せ」

「なんじゃ急に。そこにあるから勝手に見ろ」

 ゲン爺が示す容器を掴むと、ナルミは最初の勢いとは打って変わって慎重に蓋を開けて一口含んだ。だが、すぐに顔を顰めると足元に吐き出した。

「こんなものはウィスキーじゃない。熟成以前の問題だ」

「分かっとる。じゃが、ワシにはそんなものしか作れん。どうやって作ればいいのか分からないのじゃ」

 ナルミは容器を放り投げるとゲン爺の胸ぐらを掴んで引き立たせた。

「何か資料は無いのか」

 ゲン爺が半分焼けたメモを渡す。肝心の仕込みに関する記述部分が焼けてしまっていた。

「アリスがいれば続きがわかる。それでもここで作れるのかどうか分からん。ウィスキー作りっていうのは非常に繊細な作業じゃ。だから頑固なまでに昔ながらの作り方にこだわる。環境が変わるのを嫌がって蜘蛛の巣を払うことまで禁じていた蒸溜所があるくらいなんじゃ」

 ナルミが唇を噛んだ。

「それにアリスは戻ってこんじゃろう。連れていかれる時、全てに決着をつけようとしていると感じた」

 ナルミは部下を集めるとポットスチルを叩きながら威厳に満ちた声で言い放った。

「こいつを369坑にもどすぞ。いいか、絶対に傷つけるな。少しでも傷つけたやつは俺がこの手で罰を与える」

「あんた、何を言っとるんじゃ」

 ゲン爺が目を丸くする。

「ただ、もし美味いウィスキーができた時には、お前らに最初に分けてやる」

 男たちの力強い声が響き渡りポットスチルが持ち上げられた。

 ナルミはゲン爺に向き直ると言った。

「蒸溜所は俺たちが守る。アリスが戻るまで何度でも作り直せ。いいな。マスターブレンダー」

 人が変わってしまったようなナルミに、ゲン爺は黙って頷くしかできなかった。

 第501坑に侵入したアリスたちは戦闘を回避しながらルナ解放戦線の本部に辿り着いた。ほとんどの兵士が出払ってしまっているのか、不思議とナルミの執務室まで誰にも会わなかった。扉を開ける時ナルミは不在なのではと思ったが、大きな執務机の向こうで椅子の背が揺れているのが見えた。

 だが、アリスの声に振り向いたのはナルミではなくオスティアリウスだった。切長の目はいかにも無慈悲そうだ。

「やっと来たか。おや、オズワルドにコーネルまでいるのか。豪勢だな」

「あなた、ここで何をしているの?」

「君らと同じ理由だ。ナルミに話があったが、逃げたようだ」

 アリスが銃に手をかけるとオスティアリウスが待てとでもいうように手のひらをみせた。いつでもお前たちを重力グローブで吹き飛ばすことができるという意思表示だ。

「ところでナルミとは何の話をするつもりだったのだね。手を組んで一緒に私を倒そうとでも相談するつもりだったのか」

「分かっているなら話が早いわ。この先はあなた対ルナ連合の戦いになる。そうなるとあなたが想定した混乱状態はもう続かないし、戦争自体が意味のないものになる。そろそろ停戦に踏み切ってもいい頃合いじゃないかしら」

 オスティアリウスは微笑を浮かべながら黙って見ている。

「そもそもこの混乱は何のためだったの? アテナスがアフリカの風を潰すためにルナ解放戦線とぶつけるというのは効率的ではないけどまだわかる。でもコーネルがつれて来たゾンビ兵を奪い取って三つ巴にする理由が分からない」

 オスティアリウスの笑みが広がった。

「三つ巴にする理由なんて何もない。ルナシティが混乱していればそれでいい。そこらじゅうで戦闘が起きることへの恐怖。ゾンビウィルス感染の恐怖。先が見えない不安。それらが市民を完全意識融合に導く。もう半数のルナシティ市民が完全意識に融合した。残りはもうどうでもいい。誤差みたいなものだ」

「なんてこと」

「それにルナシティが混乱していれば」

 オスティアリウスはコーネルを見る。

「お前たちニューエイプはロケットを飛ばして月に来ようなどとは思わないだろう。極端な技術の追求は人類と同じ過ちを犯す。君らは少し頭のいいチンパンジーに戻ってもらう。君らに埋め込まれているバイオチップにはタイムリミットがあるのだよ。リミットが来れば補助記憶は無くなり、仲間同士の無線通信もできなくなる」

「なんだと!」

 コーネルが飛びかかろうとするとオスティアリウスのグローブから重力波が放たれ押し返された。いつの間に集まってきたのかゾンビ兵がわらわらと執務室になだれ込んできてアリスたちを取り囲んだ。通りでここまで誰もいない訳だ。

「アテナスはね、スムーズな進化を望んでいる。人類はひとつの完全意識となって天上から地上を見下ろす。地上では動物たちを保護できる知性のある類人猿が自然と一体になって暮らしている。地上は自浄作用で何れ環境汚染を克服するだろう。理想的じゃないか」

「バイオチップを破壊してもコーネルたちはすぐにコンピューターを使いこなすようになるわ」

「安心したまえ。もう各国の都市にはEMPを搭載したHuman+が派遣されている。それが一斉に爆発すれば強力な電磁パルスで地上の全ての機械が使用不可能になる。世界が石器時代に戻ったとき、脆弱な人類ではやや不安がある。だからアテナスはニューエイプを選んだ。どうだね。コーネル。君たちは本当に地上の支配者になるのだ。光栄だろう。君自身がそれを目にすることはないがね」

 そこまで言ってオスティアリウスは立ち上がった。

「ふざけた話だ」

 オズワルドが取り返したボトルからウィスキーをラッパのみした。

「さて、話は理解してもらえたと思うので、そろそろ最終フェーズに入らせてもらうよ。兵士たち。この者たちを取り押さえよ」

 アリスたちはゾンビ兵との格闘に備えて身構えた。

 だが、ゾンビ兵は誰一人動こうとはしなかった。

 不審に思ったオスティアリウスがもう一度命令を下したが結果は同じだった。

「どうなっている」

「彼らはまた私の兵士に戻ったのですよ。制御チップなんて私の次元からいくらでも変更が可能ですからね」

 入り口から一体の不格好なロボットが入ってきた。ロボットの腹部には透明な保育ケースが嵌め込まれていて、その内側に一人の乳児が座っていた。

「夢郎」

 乳児の姿であるが中身は夢郎だ。夢郎は高次元思想と人間の間に生まれた生命体で乳児の姿は高次元からの投影部分にすぎず意識自体は高次元にある。

「これで戦況はゾンビ軍団対ルナ連合ですらなく、オスティアリウス対ルナ連合になった訳です。さて、その重力波を出せるグローブだけでどれくらい戦えるのか、お手並み拝見といきましょうか」

 オスティアリウスは両手のひらを左右に見せて腕を伸ばした。

 コーネルのコンテナトラックを潰したところを見れば、かなりの重力波を出せるはずだ。もしかしたらフロア全体を潰すことくらいできるかもしれない。ただ、片腕を撃ち落とせば左右のバランスが取れずにオスティアリウス自身が吹き飛ぶことになる。アリスは銃を撃つタイミングを待った。

 ところがオスティアリウスは再び微笑を浮かべて両手を下に降ろした。

「やっぱり出て来たか。ゾンビ兵を集めればお前がやって来ると思ったよ」

 夢郎が驚いた顔を見せた。想定外の反応だったようだ。

「いくら高次元にいたところで頭が良くなる訳じゃないだろう。お前はなかなか捕まらないのでね、ちょっとした罠を張らせてもらったということだ。もう逃しはしない」

 オスティアリウスは再び椅子にゆったりと身を埋めうると両手を顔の前で組んだ。余裕の夢郎に対して彼もまた余裕の笑みを返した。

「さて、最終フェーズを始めようか」

          つづく

 今日は『リンクウッド』を紹介します。本編の中で『リンクウッド』の名前がひとつも出てこなかったので、なぜと思われる方もいると思います。『リンクウッド』はスコットランドのスペイサイド地区にあるリンクウッド蒸溜所で生産されるシングルモルトスコッチウィスキーです。このリンクウッド蒸溜所は生産する原酒の99%をブレンド用に提供していて『リンクウッド』として販売されるボトルは少量です。残りの提供された原酒は『ジョニー・ウォーカー』や『ホワイトホース』の原酒として世界中で親しまれています。『リンクウッド』自体は軽くてまろやか、かつ適度なコクを持ち飲みやすいウィスキーです。古い年代の物は芳醇でスモーキーな味わいだったそうですので、探して飲み比べてみるのもよいのではないでしょうか。

 さて、徐々に主要人物が集まって来ました。そして遂に夢郎の登場です。夢郎はこの物語でかなめになるキャラクターです。このあと夢郎とオスティアリウスはどのような話し合い? をするのでしょう。そしてそこにアリスはどう関わるのか。オスティアリウスというのは門番とか使用人という意味がある単語です。アテナスの意志を伝え番兵となる役割です。アテナスの人類進化計画の全貌は明らかになったのでしょうか。まだもう少しオスティアリウスの口から語られる真実がありそうですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?