見出し画像

花とキラキラ

幼い頃、私は花が好きだった。

将来の夢はいつも「花屋さん」。
小学生の頃、月に一度のお小遣いをもらうと、すぐに駅前の小さな花屋に飛んでいった。すっかり顔馴染みになった花屋のお母さんは、いつもちょっとだけおまけをつけてくれる。キレイな花束を抱えながら弾んで家に帰り、西日のまぶしい土壁の四畳半の隅に飾っていた。

花屋さんになる夢をふんわりと抱いていたある日、母の友人のおばさんに、「アンタ花屋になりたいんだって?花屋は儲からないよ!花屋は夜明け前から働かないといけないんだよ。起きれんのかい?」と大きな口でゲラゲラ笑われた。
「そんなに厳しい仕事なんだ。夜明け前から起きて働く仕事は私には無理かも…」
ショックを受けた私は、この日を境に「花屋さんになりたい」と言うのをやめた。

花はその後も好きだったが、少ない小遣いの使いみちはいつしか文房具や参考書へと置き換わった。大人になり、母になってからも、「花より貯蓄」「私のものより子供のもの」と、生活と子育てを優先し続ける多忙な日々が年中無休で続いた。

そんな日常に疲れ果て、「もう頑張れない」と感じていたある日、たまたま花屋の前を通りかかった。小さな店の入り口の床から天井まで溢れるように咲き誇るたくさんの花の壁。私は店の前で、言葉もなく、身動きもできず、花をじっと見つめ続けた。その生命力は暴力的なほどに強く、私にはない純粋さを見せつけるような色の鮮やかさと強い芳香が、黒いビルの一角を別世界に変えていた。

その時、私の胸に幼かった頃の土壁の前で咲いていた花の記憶が突然甦った。
懐かしい友人とばったり再会したかのように、驚きと喜びと、微かな緊張を感じながら、私は吸い込まれるように店の中に入った。花の香りを肺いっぱいに吸い込むと、私の皮膚に張り付いていた固くて重たい何かが剥がれ落ちていくような感覚を覚えた。
「どうぞ手にとってみてください」と若い店員さんに促され、私はひんやりと冷たく、か細い薔薇の茎をつまんで、そっとバケツから引き抜いてみた。その瑞々しい茎の触感に、「この花は根を失った今も生きてる」と感じた。当たり前のことなのに、胸の奥が震えた。私は時間をかけて選んだ花の束とそれに合う花瓶を買った。

かつて通った寂しい駅前の小さな花屋のように、そこは私にとって夢一杯の空間だった。

今、私はたまに花を買っている。幼い頃のように、一本ずつ、ただただ自分の感性の赴くままに花を選ぶ。口の悪い大人はもういない。そこには、母親でも労働者でもない、少女の頃の私だけが、確かに一緒にいる。

新型コロナウイルス感染症が流行する中、多くの花屋さんが困っていると聞く。
入学式や歓送迎会、結婚式などで使われる花束や装飾花が売れなくなってしまったかららしい。買って応援したいが、この先自分達の暮らしがどうなるのかわからない中で、「不要不急」の出費にまたもためらってしまう。

でも花は一輪でも買える。
最近は余ってしまった花を安く売る店も出てきた。かわいい一輪挿しをテーブルに置いて、それにピッタリのキレイな花を買いに行こう。
自粛生活で疲れた心に、眩しいほどキラキラした気持ちが蘇るように。

あなたのキラキラは何ですか?

:D

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?