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映画感想記:『岬の兄妹』(2018)――歪な労働賛歌


映画公式サイトからキャプチャ

●枕

この映画を知ったきっかけは、千原ジュニアのYouTubeチャンネル。

千原ジュニアはもともといい印象がなかった(いかにも関西人みたいなその喋り口や面構えがどうも好かんかった)のだが、かもめんたる岩崎う大のYouTubeチャンネルで対談動画があり、う大のチャンネルに、なんで千原ジュニアが? と不思議に思って見てみたら、面白かった。

いやー、知ってたことではあるが話がうまいなあと思い千原ジュニアチャンネルからいろんな芸人との対談を見るようになり、東野幸治との対談の中で、今回扱う岬の兄妹の監督である片山慎三監督の最新作『さがす』が話題に上がった。

2人とも「面白い」という点で一致したのだが、内容が内容なので、あまり周りにおすすめもしづらい、という文脈から、過去作の岬の兄妹が話に出てきた。「面白い」のに「他人に紹介しづらい」。この時点で間違いなさそうな気がした。

●あらすじ

タイトル通り岬町で暮らす兄と妹の物語。兄は片足が不自由でびっこを引いており、妹の方は精神薄弱?作品説明などを見ると自閉症らしい。どうでもいい話だが、撮影地は三崎らしい。タイトルとかかっているのか、タイトルがかかっているのか。

男がマリコという女を探すシーンから始まる。マリコはこの男、ヨシオの妹で、どうやら逃避行は初めてではないらしい。

港町の古臭い街並みを、マリコを探すヨシオが歩いていく。右足はびっこをひいている。足が不自由なようだ。

やがてマリコは見つかり、引き渡しに日の暮れた岸辺へとヨシオは向かうのだが、どうもマリコを保護してくれた若い男がよそよそしいというか、白々しい。

家へ帰り、風呂に入っているマリコ。脱いだ服をなんの気無しにヨシオがチェックすると、ポケットから万札が。しかもおパンティになんらかの液体がついている。勘づいたヨシオはマリコを問いただすのだが、マリコはのらりくらり。ここでのヨシオのキレ散らかし方は怖かったなあ。

その後、造船所の仕事をクビになったヨシオは内職で糊口を凌ごうとするが、到底不可能。結局、マリコを売春させて生活していくことにするのだった。

●好きなシーンなど

(1)ヨシオのキレ方

物語の冒頭で、マリコが謎に1万円をもらってきたところや、内職をしているヨシオにまりこがトンチンカンなコミュニケーションを取ろうとするシーンでの、ヨシオの瞬間湯沸かし的なキレ方。あーこんなキレ方分かるけど、こういうキレ方をするからこの人は今こういう暮らしなのだろうかというどうしようもない感覚に襲われる。

(2)金がない、でも腹は減る

ヨシオが造船所をクビになったことで日銭が入らなくなり、当然飯にも窮する。
2人はゴミを拾ってきて、食えそうなものがないか探ったりする。ゴミの中から、弁当に入ってるソースの小袋を見つけたり、はたまたそれでは埒があかんから、集積所で漁ると、宅配ピザの箱から手付かずの1ピースを見つけたり。

ピザを見つけたヨシオは目を輝かせるが、どこからともなく現れたドラクエのワカメ王子みたいな乞食に奪われるシーンは必見。ワカメ王子が覇王色の覇気を放っている。

家に帰ると、マリコが、ヨシオの内職道具であるティッシュを食っている。ヨシオはそれをやめさせようとするのだが、「甘いよ」というマリコの言葉に騙され、ティッシュをぱくり。「本当だ」と口にするあのヨシオのどうしようもなさ。

(3)部屋に差す灯り

マリコに売春させることを決め、その"初任給"が入った後の食事のシーン。
せっかくまとまった金が入ったのに、食べるものはマック。2人してがっつくがっつく。
食べ終わると、目隠しなのか保温なのか、部屋の窓を全面覆っていた段ボールを剥がすヨシオ。外は明るく、その光がこれでもかと部屋の中を照らす。

内容はともあれ、自らの力(まあヨシオはポン引きしかしてないが)で金を稼ぎ、それで十分な飯を食う、という社会性を回復したことによる晴れ晴れしさが現れたいいシーンだと思う。

(4)じいさんとマリコのちぐはぐなやりとり

やがてヨシオはポン引きをやめて、デリヘルみたいな感じで、辺りにビラを投函するスタイルへと仕事の仕方を変える。

唐突に、妻を亡くしたそれなりのじいさんのカットが始まり、なんじゃこれ?と思っていたら、なんとそのじいさんがマリコを買うのだった。

このじいさんとマリコとのコミュニケーションのチグハグさ。これは言葉にし得ない。ワンカットで、マリコがじいさんの家の居間に来て、じいさんの服を脱がせ、くんずほぐれつするまでに何個、コミュニケーションの掛け違いが起こっただろう。身体障害者と精神障害者が限界状況の中、それでもなんとか編み出した生き抜くための仕事が売春という悲哀、もうそこそこのじいさんが白痴の女を買う悲哀、しかもの部屋には亡妻を祀った仏壇があるという悲哀、そうしたさまざまな物悲しさを帳消しにしてあまりあるユーモアに溢れたシーンだった。

(5)まだまだ出るぞ!

先程のじいさんと同じように、また唐突に、学校だかの水が張っていないプールサイドで中学生だか高校生のいじめのシーンが入るのだが、それがとても自然に本筋に回収されてくる。

加害者側の男子1人が、ヨシオがばら撒いているデリヘルのチラシをどこからか拾ってきて、被害者男子に相手をさせようとする。

いじめ被害者男子がマリコとの時間を、学校敷地内の屋外トイレで過ごしている最中、ヨシオはプールサイドに腰をかけボーッと待つ。すると加害者側複数人が、ヨシオを取り押さえて、金の入っているであろうウエストポーチを奪おうとする。

奪われまいと必死に抵抗するヨシオ、あまりに力んだのかうんこが漏れ、そのうんこを学生たちに投げつけまくる。当然ビビリにビビって逃げ出す学生たち。「まだまだ出るぞ!」とヨシオ。なんだよそれ。うんこの色がやけに黄色いのも気になる。

この一幕が終わり、被害者男児とマリコが出てくる。被害者男児はやけにスッキリした顔で、「世界が変わりました」みたいなことを言う。売春で救える世界。

(6)晴々しい世界

物語の終盤、マリコは妊娠する。
堕胎には10万円ほどの費用がかかると医師に告げられ、ヨシオは途方に暮れる。マリコがこれまで"仕事"をした相手のうち、やけに仲良くなった小人症の男のもとへ行き、「あんたといる時マリコは嬉しそうだった。結婚してやってくれないか」というも撃沈。なすすべなく海に2人で佇む。困ると海側に来がちなヨシオ。

そこへ、ヨシオがクビになった造船所の社長みたいなやつがきて、欠員が出たから戻ってきてくれと告げる。今更遅い、的な感じでマリコにもその社長にもキレ散らかすヨシオ。

シーンが切り替わり、びっこをずっと引いていた右足が直ったヨシオ。急にイキイキとし始め、走り始めていく。やけに凄まじい躍動感。

ここで、ふと、先程の海のシーンでのマリコへの当たり散らし方を思い返すに、もしかしてヨシオはマリコを殺したのではないか?と不穏な印象を受ける。すなわち、ヨシオにとってマリコは、不自由な右足とともに足枷だったんじゃないかなーと。

とか思いつつ、なぜいきなり治ったのか?と不思議に思っていると、どっかの児童遊園みたいなところで、子供達に混じって健康な体を喜ぶように動き回るヨシオ。こんな子供に混じって髭面のおっさんが遊びまわっている時点で、ああこれはおかしいことなんだ、夢かなんかなのかな、と思ったら案の定夢だった。

目覚めてあらためて足が不自由なことに気づくヨシオ。寝ているマリコ(とその胎児)をコンクリートブロックで殺そうとするが、できない。

●感想・考察など

作品全体を通して、ヨシオとマリコの労働意欲が高いことに驚かされる。

造船所をクビになってもやけっぱちにならずにティッシュの内職に一生懸命打ち込み、それもダメであればマリコを売る、それもただ売るのではなく、サービスエリアや飲み屋街とロケーションを選び、あるいはデリヘルへと鞍替え。安易な考えであれば暴力などに訴えた略取行為にも流れそうだが、こんな厳しい状況に置かれてもなお、働こうとするヨシオ。それに呼応するように、嫌がる素振りも大してなく、ヨシオと客の求めるがまま仕事を遂行するマリコ。

不自由な足、あるいは自閉症という一つのハンデを抱えた2人でさえ、働くことを余儀なくされるという歪な労働讃歌であり、金がないならその身を資本化しろという本作は、ひとつ現代社会への皮肉なのかなとも思わされる。

街中でポン引きしてるときにチンピラに絡まれるシーンで、チンピラは金なんか払わずにマリコを使うことだって可能なのに、利用した後はきっちり金を払っている。この神経質なまでの徹底した「金」で解決する世界。中学生だか高校生がデリヘルを使おうとしても、金さえ払えば問題なし。ヨシオが妊娠したマリコを前に悩んでいるのも、胎児を殺すかどうかといった倫理的な話ではなく、あくまで金額的な次元である。

じゃあ、カネがあったらヨシオたちはどうするのか。それでも結局、マックを貪り、コンビニの菓子を食べるだけならば、なぜ働くのか。なんというか、そんな疲労感をちと感じた次第。

このように極めて露悪的かつ閉塞感のある作品ではあるが、それを突き詰めて突き詰めて台無しにするユーモアもあり、不思議な映画だった。

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