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今年こそお雛様を出そうと決めた

今年こそはお雛様を出そうと思っている。
七段飾りのお雛様だ。
私が生まれて祖母(母の母)が買ってくれたものらしい。
母はこういう季節ごとのオーナメントの扱いには几帳面な人で、毎年の雛人形をひとつひとつ箱から出しお顔の覆いを取り軽く刷毛で埃をとり、丁寧に飾っていた。

最上段の女雛は松や桜の描かれた扇を持ち、小さくは有れど本物の扇と違わぬものだった。
その隣に鎮座する男雛は刀を携えており、鞘から剣が抜き差しできた。
右大臣左大臣も帯刀していたが男雛ほどのそれではなかった。
三人官女はそれぞれの手に銚子や盃などの酒器を持っている。
五人囃子が持つ鼓やバチの和楽器も巧みにできている。
六段目には箪笥や鏡台、長持ちなどのお輿入れ道具が並んでいる。

こんな豪華なお人形と小物を目の前にして子どもはおままごとをして遊ぶ以外何があろうか。


お雛様も世情を如実に映しており、住宅事情や季節のお祝い事の簡素化などで、今やガラスケースに入った内裏雛も多いと聞く。
毎年毎年飾られていた我が家のお雛様はいつしか母も出し入れが面倒になったか私がさほど喜ばなくなったかで押し入れに仕舞ったままとなって以降、ついぞ日の目を見なくなった。

しかし、その後、私が結婚して第二子に娘が誕生したことで実家の押し入れに眠っていたお雛様の再登場となった。
でも、十年以上出していない、お顔にカビでも生えてたら、お道具はどうだろう、刀や金具は錆びていないか…母も同じことを考えていたようだ。
新しく誂えるよりは、私のお雛様を娘が受け継いでくれたらどんなに嬉しいことだろうか。
母の手入れが良かったのか、お雛様はお顔も着物も無事きれいなままで保たれていた。
だが、ひな壇の土台となる組木がやや傷んでいたので、母が雛人形を扱う問屋さんに問い合わせると土台だけ用意できるとのこと、それだけでも新しくして七段飾りを整えたいと思った。
問屋さんにも「お母さまのお雛様をお嬢様にお伝えになるのはとても良いことですよ」と商売っ気抜きで後押しを受けたことはとても嬉しかった。

娘が一つになり二つになり三つになり幼稚園に入るようになり、母と私と幼い娘と一緒にお雛様を飾ってひな祭りを祝った。


そして、娘が八歳の夏に母は闘病の末に天に召された。
確かな記憶ではないがそれまではお雛様を飾っていた、と思う、多分、いや、母がわざわざ我が家に飾りに来てくれていたっけ。

母がいなくなってからは、またお雛様たちは暗い押し入れに籠ったままになった。

母との思い出が邪魔をしてか元来の面倒くささが災いしたか、それから一度もお雛様に手を付けられないでいた。
私がそうしたように人形を手に取り刀を抜き、扇を広げ、箪笥の引き出しに小さなアクセサリーを隠したりしておままごとを楽しみたかったのかもしれないと思うと切ない。
母を亡くしていつまでも悲嘆に暮れる私を見て、察しの良い娘からはお雛様を出してほしいとリクエストも聞かれなかった、申し訳ない。

その娘も家を出て一人暮らしをしている。
もう夫婦二人の生活になって何年になろうか。
今年こそ今年こそと思い続けて何年になろうか。

近々、心身の不調もあり、天災やウイルス、人智をもってしても叶わないご時世に、先の見えない明日を憂うようになって、今でしょ、今やれることは今やらなきゃ、あとで、来週、来年などと余裕をみせていると、よもや明日にもこの世が終わるかもしれないし…なんてのは多少大げさではあるが、でもそうかもしれないのだ。

そうだ、お雛様を出そう。
娘は帰省できないだろうけど、娘のために、今年こそお雛様を出そうと決めた。

最後にお雛様を我が家の押し入れの天袋に仕舞ったのは母だった。
もしかしたら母の匂いが残っているかもしれないね。

そんなことを思いながら、三月三日に間に合うようにお雛様を飾ろう。
どうかきれいなお顔とお着物でありますように。
お道具が錆びていたりしていませんように。

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