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皆殺しの天使

「ビリディアナ」と二本立てで鑑賞。

「皆殺しの天使」。そのタイトルの正体とは何だろうか。

部屋に閉じ込められた人々。水も食料も底をついて生命の危機に晒されてもなお、部屋から一歩外に出るという選択をしない。選択することができない。なぜ選択できないのか。そこは一切の説明がない。何も知らないでこの映画を観たらしばらくは「こいつら何してんの・・・?」と状況が飲み込めないだろう。物理的に閉じ込められているわけではない。正体不明の何かが「一歩外に踏み出すこと」を妨げている。

人間は自分たちが決めた、誰から強いられたわけでもないルール、モラル、道徳に自ら縛られている。それを破ることはとても簡単なことのはずなのに、それを破ろうとはしない。

それは聖なる天使のような姿をして人を導きつつ、いつしか人間たちを死へと誘う。ゆえに皆殺しの天使。

ということだろうか。ブニュエルの真意は誰にもわからない。

ただ思うことは、ブニュエルの作品に僕が惹きつけられないのは、そこに「愛」が描かれないからだということに思い当たった。「ビリディアナ」もそう。主人公ビリディアナの「愛」を真面目に描こうという意図は全く汲み取れない。

どんなルールもモラルも道徳も、根底に広い意味での「愛」があるからこそ価値があり意味がある。と、僕は考えている。だからこの映画も分かるようで分からないし、映画作品として一定の面白さは認められるものの、好きかというとそうでもない。

形式だけに囚われた礼儀作法なんて糞食らえだ。とはいえそれと同じレベルで考えていいこととそうでないことがある。愛さえあればその線引きを間違えることはないと僕は思う。

そもそもあの羊は何なのか。熊は何かのシンボルなのか。

やっぱり僕にとってブニュエルはどこまでも「わけのわからない作家」だ。

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