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世界はどうも、こうなっているみたいなのだけれど。

昔から、夢をみるのが得意だった。
得意、という言葉がフィットするのか些か疑問が残るものの、おそらく、やっぱり、得意な方なのだと思う。

夜、寝ている間にみる、夢のことだ。

小学生から大学生まで、甘えの限りを尽くしてベッタリさせてもらった、母方の祖母。
そこで飼っていた雑種の犬。
大好きな相手は、亡くなる「直前」に夢の中へやってきて、別れの挨拶をしてくれた。

末期ガンを患っていた友人が夢に出てきた時は、そのなんとも言えない表情と、同じ空間にいるのに明らかに違うエリアに居る様子から(おそらく亡くなったんだろう)と確信した。
確かめたら案の定、1ヵ月前に旅立っていた。
最期が近づくにつれ自身の状況を知らせたがらない人だったから、こんな形で知らせてきたんだろう。

夢の中で「これは夢だ」とわかることを「明晰夢」というが、これも頻繁にある。
夢だと気づいた時は、意識的に動くようにする。
試してみたいアクションを試し、自分が話すことも意図してコントロールする。

一般的に「予知夢」と言われる体験もまあまあある。

「ある形式の夢を何度もみる」時期が続いたりすることもある。
近々だと、一時期、テロリストや暴漢を腕力でねじ伏せた後、その相手の言い分をトコトン聞いて、抱き合う、という展開の夢ばかりみていた。
そういう時は、夢の中の出来事と現実が呼応するような状況になることも少なくない。
(夢が先に展開し、現実は後からついてくる感じだ)
夢からのメッセージに従ったり、意識したりしながら生きて、人生を大きく展開させる(してしまう?)ことも結構ある。

私にとって夢は、「あの世」や「無意識の世界」「潜在意識の世界」、つまり「見えないけれど確かにある世界」とのゲートウェイなのだ。

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こういう話をすると、「いわゆる」スピリチュアルですね。と言われそうで、私の本意ではない。
(日本で使われている「(いわゆる)スピリチュアル」という言葉は、本質的ではない意味に色付けられてしまっているのがとても悲しい)

夢が得意だと思うようになったのは大学生の頃だけれど、その後、人材育成の仕事をするようになり、人の成長・発達に関することを多々学ぶ中で、心理学や文化人類学の中で扱われている「夢」に関心を持つようになった。

私の夢の実践は、主に以下の学びを参考にして行っている。
(夢占いとは違う)

<心理学の領域>
①     ソマティック心理学(身体心理学)の師匠から教わった、夢見のワーク
②     物理学者であり、ユング心理学の分析家であり、シャーマニズムや老子・禅を学んで「プロセス指向心理学」を創設したアーノルド・ミンデル博士による夢のワーク
<文化人類学の領域>
マレー半島の山岳民族・セノイ族の夢見の作法

先に、

私にとって夢は、「あの世」や「無意識の世界」「潜在意識の世界」、つまり「見えないけれど確かにある世界」とのゲートウェイなのだ。

と書いたけれど、これらの夢の学びを参考にしながら、夢を読みほどき、現実世界に活かしたり、心理的成長に繋げながら生きている。
(夢と現実をすり合わせていくプロセスを「折衝」と呼ぶ)
夢は、見えないけれど確かにある世界へのゲートウェイで、現実世界とその世界をいかにシームレスにしながら生きるか、が自分の生命を通じた実践・実験のひとつなのだ。

とはいえ最近は、夢を覚えていない日も多い。
現実世界が忙しいと、夢を忘れてしまいがちになるという。
ホント、現実がちょっと忙しすぎるんだよなあ……もっと、夢みたいよ。とほほ。

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さて。
宮﨑駿監督の新作『君たちはどう生きるか』を観てきた。
予告編無し、パンフレットは公開数週間後に発売、しかもパンフレットによくある解説的なものやインタビューは一切掲載無し。

とにかく、なんの説明もないこの作品。
前情報で賛否両論あるのは聞いていたし、一緒に観た人は「よくわからない」と言っていたけれど、私には、面白かった。

宮﨑駿さんには世界はこう観えているんだな、と思った。
そしてそれは、想像や勉強した結果、ではなくて、ご体験として何かがあるんだろうな、と。
そして、「世界はどうもこうなっているみたいなんだけど、君は、そういう世界の中で、どう生きるの?」と問いかけているような気がした。

みんな、それぞれに、観えている世界の景色がある。
その中で、どう生きるか。
これは、またそれぞれの自由にゆだねられている。

※そういえば、『君たちはどう生きるか』著者のご家族がこられた試写会で紹介された監督のメッセージに「おそらくわけがわからなかったことでしょう。私自身、わけがわからないところがありました」とあったそうで。監督のリアリティに溢れた作品で、いいなと思ったのだった

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徹底して解説無しのプロモ―ション(?)なので、ネタバレに繋がることはなるべく書かないようにしたいけれど。
主人公・眞人(まひと)の名前に対して、とある登場人物が「『まことのひと』か、どうりで死の匂いがプンプンするはずだ」と答えたのが嬉しくてならなかった。

私の山伏名は「眞苑(しんえん)」という。
「真」の旧字体「眞」は、人が逆さづりになった死体を表す文字で、死者は変化しない=嘘偽りのない真実、という意味を持つようになった。
「苑」は、「庭」という意味であり、神様が囲いをつくって動植物を育てた庭、という意味もあるという。
眞(まこと)の集まる庭、という名前と解釈して、気に入っている。
死の匂いをプンプンさせながら、この世の生命を思う存分、生きる。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在する」は、村上春樹『ノルウェイの森』の言葉だけれど、死と生、だけに限らず、あらゆる対極に見えるものが実は内包されあっていて、地続きであって、同時に・同等に存在し続けるこの世界において、さて、私はどう生きるか。
毎日忙しくしていると、うっかり忘れてしまいがちなこのことに、引き戻してくれた映画体験だった。
誰にも伝わらなかったとしても、ひとまず吐き出しておかなくちゃ、書いておかなくちゃ、という衝動にかられて、ワーッと書いてみた。
映画をご覧になった方は、それぞれが何を観たか?
面白かった、という方にはぜひ聞いてみたい。

『君たちはどう生きるか』映画.comより


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