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小さな世界の輪唱

世事に疎いわたしでも、AIの発達は耳に入ってくる。
この世は人工知能がつくりだした世界で、人間は勝手に意思を持ち文明を作ったと思い込んでいる説は、手塚治虫や藤子不二雄の世界が近づいたようでどきどきする。

画像やデザインの分野では、生成AIを用いたAIクリエイターなる職業が存在しているらしい。
プロンプトと呼ばれる設定や指示をAIに伝えると、AIが上手に生成してくれる。指示を的確に伝える必要があるので、クリエイターよりディレクターと呼んだほうが個人的にはしっくりくる。
ある程度理想に沿った画像が、とても便利で手軽に手に入る時代になった。

AIの発達によって一般事務や客室係、電車の運転手など、単調さを伴う仕事は今後なくなると言われているし、すでに始まっている。

少しずつ機械の世界はわたしたちを助け、あるいは侵食している。

ヒトの行うほとんどの活動がAIでできるようになったらどうなるだろう。
AIに関する記事をネットで読みながら、わたしの脳内でゆらゆら帝国の『人間やめときな'99』が流れる。発達した文明の路傍では、何も考えなくなった人から徐々に野性に戻るだろうか。野性になっても服は着ている気がする。

大学生の頃、7つ上の画家と交際していた。
名前も忘れてしまった人だけど、スマートフォンという単語も生まれていない時代に「自分の頭の中にイメージがあって、キャンバスに描くのはただの作業。だから自分が寝ている間に妖精さんが全部描いてくれたらいいのに」と言っていた。

さて、彼はAIを導入しているだろうか。

今も自ら絵筆をとっているとわたしは思う。

宇宙に踊らされているちっぽけなわたしたちが小さな世界の中で小さな頭と身体を使い想像し表現することは、人間が持つささやかで大それた欲望であって、人間は創造の工程に「よろこび」を見出せる生き物だからだ。

わたしはデジタルを併用するときもあるけれど、結局のところ「自分の手を動かして小さな世界が出来上がることそのもの」が面白いと思っていて、ちっぽけな自分の世界が誰かとつながって小さな世界が輪唱していくさまが見たくて、今日も手を動かしている。

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