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スポーツ中継(球技)のカメラアングルについて思うこと。

アナログ放送がデジタル放送に移行するとき、TVのディスプレイサイズが横方向に広がることで、スポーツ中継の見方が変わると騒がれた一時期があった。
人間の視野・視角にベストマッチした黄金比率のディスプレイサイズは、これまでのアナログTVの常態であった画角の捉え方やカメラワークを、劇的に変えるだろうと噂されていたようだけれども、今となってはそんな噂があったことには、疑問符を抱いて接せざるを得ない。
球技スポーツの中継に革命が起こるだろうと言われて、それを鵜呑みに信じ込んでいた時期が今となっては懐かしい。
フィールド全体が大写しになることによって、スポーツの見方が変わるぞ…などと言われて、わくわくなんてしていたけれども、そんなわくわく感・期待感は、とうの昔に忘れてしまっていたものである。


【序】
スポーツ中継以外でも、人間の視野・視角に合わせたような映し方をしているなぁと思えるシチュエーションは、現在、たいして見かけることもなく、むしろデジタル放送時代となって、カメラアングル・カメラワークの更なる近視眼化が進んだのではないだろうかとさえ思えてしまう。
スポーツ中継から一度話がそれてしまうけれども、ワイドショーの近視眼化は特に著しいのではないかと思う。
フリップの読み上げ箇所を大写しにするカメラワークの多用と、頻繁なズーム、そして、ズームしたままの横移動に、若干のストレスを感じてしまうのは私だけなのだろうか。
隣の情報を先読みしたくても許されない。
少し前の情報を再確認で読みたくても許されない。
作り手側のカメラワークに支配されている感覚が、どうにももどかしく感じてしまう。
作り手側の誘導で情報を仕入れたくないと思ってしまう私が、単に天邪鬼なだけであろうか。


【蹴球】
過去のJリーグ中継のカメラアングルは、アナログ放送時代の黒歴史とも言えるかもしれない。
カメラがボールを追いかけて動いていて、周りで何が行なわれているかは、ほとんどまったくわからない。
静止した時間の多い野球中継と同じ感覚で、静止した時間のないサッカーというスポーツを映そうとしていたようで、ゲーム展開をまったく楽しめない、空気の読めないカメラアングル。
ボールホルダーを追いかけてくれるのならばまだしも、ゲームの進行している時間帯に足もとのボール捌きだけを大写しにしたりして、余計なことをしている印象が拭えない。
足もとのテクニックならば、後からゆっくりスローを交えてリプレイしてくれれば問題なかったはずなのに。
極めつけは、ゲームの真っ最中にCMに移行して、CMが明けたときには得点がすでに入っているというケースである。
今となっては笑い話の範疇であるが、今、そんな空気を読まないことをしていたら、抗議の電話やSNS投稿が殺到すること間違いない。
CMのスポンサー企業にとっても、もはや逆宣伝効果になりかねない由々しき事態だったに違いない。


今では、さすがにそんなCMの入れ方はなくなったけれども、今でも、フィールドの近視眼的な映し方の遺伝子は残っているように思う。
欧州などの海外サッカー中継などは、相手方のディフェンスラインから味方のディフェンスラインまでを、しっかり画角の中に収めて映してくれていることも多いので、ストレスフリーでサッカーの試合自体を愉しむことが出来ているように感じる。
サッカーの魅力のひとつに、ボールの軌道と選手の連動性の、幾何学的な美しさというものがあると思っている。
ボールを追いかけ続けるカメラワークでは、パス回しの幾何学的な美しさを堪能することは難しい。
味方のディフェンスラインがボールを保持しているときに、相手方のディフェンスラインが映っていなければ、ラインブレイクの動き出しも、スルーパスの絶妙な軌道も、サイドチェンジの気持ちよさも、その魅力が半減してしまう。
海外のサッカー中継で、クロスボールが上がったときなどのリプレイで用いられる、相手方ゴールを画面上に配した上空俯瞰アングルが、ダイナミックかつジオメトリックで個人的にはとても爽快に思っている。
今の時代、TVゲームのようにカメラアングルを選択できる、マルチアングル中継なんて実現できないものであろうか。
それが難しければ、横への大きなカメラ移動をあまり頻繁に行わなくてもよいように、もう少し遠間からフィールド全体を映して欲しいと思うであるが、それならばスタジアムに行って観戦しろよと、そっけなく言われるであろうか。


【排球】
バレーボールの中継を見ていて感じる一番の疑問点は、あるチームのサーブ時に、ディフェンス側のコート全体が映っていないことを、誰もストレスに感じていないのだろうかということである。
ディフェンス側のレシーブ(レセプション)陣形が映らないことで、サーバーとの駆け引きや、レシーブ(レセプション)側のオフェンス準備の動きが愉しめない。
また、ラリーになっているときなどに、画面がボールを追いかけまわして激しく左右に動いているけれども、これをストレスに感じているのは自分だけなのかと不思議に思う。
テニスで観客が首を振ってラリーを追いかけるような動きを、カメラで行なってしまっているから、デジタル放送時代の画角の広さもほとんど意味を成していない。
カメラをあまり左右に振らずに、ほんの少しの角度の傾きだけでコート内の情況をすべて掴める映し方が望ましいと思うのだけれど、それだとラリーの臨場感が伝わらないんだよ…なんて反論が出てくるだろうか。


私個人としては、ラリーの際に、カメラの意識がフロントコートに向き過ぎていることで、バックコートからのアタックの動きが見切れてしまっているのは、とてもストレスである。
バレーボールを映すカメラアングルは、ボールを追いかけるのではなくて、フォーメーションを追いかけて映して欲しいと思っている。
セッターのトスアップから、バックコートも含めて4人のアタッカーたちが連動して攻撃に移る一連の動きは、万華鏡のようにとても美しいと思う。
オープンスパイクのテイクバックの動き、ブロードもしくはワイド攻撃のスライドしていく動き、あるいは敵を欺く全力のトリックジャンプ、そして豪快なバックアタックの兆し。
欲張りな私は、そのいずれの動きもなんとか視界に収めていたいと思ってしまう。
今、ボールのあるサイドのコートだけを映していたら、ブロッカーとリベロのポジショニングだって見切れてしまっているわけで、コンビバレーをお家芸として大切にする日本のバレー界は、ディフェンス側のバックコートの状況までを、きちんと映すべきではないかと思ってしまう。
そして、ワイド攻撃のリプレイだけは、真後ろからのアングルで映していただければ、私はとても満足である。


【籠球】
バスケットボールは、サッカーほどのコートの広さはなく、バレーのようなラリーの応酬もないことなどから、比較的、カメラアングルによるストレスは少ないと言えるかもしれない。
セットオフェンスごとに、センターラインからのハーフコート俯瞰に切り替えれば、また違うバスケットボールの魅力が引き出せそうだけれども、コート上を何度も行ったり来たりするバスケットボールというスポーツの性質上、ハーフコート限定の映し方では大きな支障が出てしまう。
ラン&ガンのオフェンススタイルやワンパス速攻に対応するためには、横からのカメラアングルでなくてはならないだろう。
展開ごとにオフェンスのモードががらりと変わるバスケットボールというスポーツは、マルチアングルのリプレイが必要不可欠なのかもしれない。
注目している選手が、インサイドの選手なのかアウトサイドの選手なのかによっても、欲しいカメラアングルは変わってくるに違いない。
それでもやっぱり、ノーマル状態のカメラ位置は固定でよく、画面の細かい横移動や、ズームアップはあまりいらない。
バスケットボールのカメラアングルに本当に必要なのは、実は、カメラ位置の高さであると思う。


NBAの映し方なんかと比べると、日本のバスケ中継のカメラ位置はだいたい低く感じられて、バスケットボールという球技の持ち味が伝わってこないような気がしている。
その点、NBAはバスケットボールの魅せ方をよくわかっているのだろう。
NBAのカメラ位置は、アリーナの少し高いところにあり、バスケットボールという球技の持つ立体感がよく伝わってくる。
ある程度、高いところから見ることで、選手の重なり合いがなくなって見えるので、スクリーンプレイなどの選手の重なる攻防が、とても見易くなるのである。
ペイントエリア付近で選手の密集することの多いバスケットボールというスポーツでは、カメラアングルが高い方が、選手間の隙間を切り裂くペネトレイトや、選手間の隙間を縫うようにして繰り出されるアシストパスなども、理解しやすいように思う。
カメラアングルが低くなるにつれて、人間の眼は、選手の重なりを判別しづらくなっていくけれども、それを解決する方法が、カメラ位置の高さなのだ。
そしてそれは同時に、バスケットボールが持つ時空間の魅力をもっともよく感じさせてくれるツールともなっているように思う。
スリーポイントシュートやダンクシュートの最高到達点にもっとも近いところにカメラ位置があることから、空中にあるものの滞空時間が長く見え、落ちてくるものの時間がゆっくりと感じられる。
この、ボールが、時間を支配しているかのような感覚は、ほかの球技にはあまりない、バスケットボール特有の感覚であろうかと思われる。


【野球】
野球は昔から日本で一番人気のスポーツとして研究されつくされているから、今さらカメラアングルなんて…といったところであるけれども、野球中継の初期の頃、打者や捕手の後ろ側、バックネット裏からのカメラアングルが採用されていた時期があったという。
それがなかなかに斬新で、個人的には捨てがたいアングルであると思う。
カメラが風にあおられるからとか、ネットの映り込みがあるからという理由で、このバックネット裏からのカメラアングルは放棄されたようであるけれども、現在の技術ならそのあたりのことは楽にクリア出来そうな気もしてしまう。
今では、投手の背後からのカメラアングルが当たり前で、それしか選択肢がないようなことになっているけれども、打者・捕手側からのカメラアングルだって魅力に富んだ映し方だったと思う。


画面から得られる情報ならば、打者・捕手側からのカメラアングルの方が、ずっと豊富であるに違いない。
じりじりと次の塁を狙う走者と、それを意識する投手との緊張感のあるやり取り。
走者が塁上を駆け抜ければ、それを食い止めようとする捕手の刺殺球の醍醐味。
あとからのリプレイではなく、リアルタイムで盗塁のスリリングさを味わえるのは大きいと思う。
内野手の守備陣形や、打球に連動しての動きもまた見えるから、ゲッツーの美しさだって今よりもっと際立つに違いない。
糸を引くように飛んでいく打球の方向も、カメラの切り替えなしによく見えるだろうし、それに伴って、外野手の守備範囲の広さなどにも感動できるだろう。
投手からのカメラアングルは、一球投げ終わったあとの配球確認のリプレイで見せてもらって、普段は、守備位置や塁上走者の動きなどを見せてもらった方が、より臨場感が愉しめそうな気がしてしまう。
いっそのこと双方向の技術でもって、視聴者にカメラアングルを選ばせてもらえないものかと思う。
野球は、もう、投打の二刀流が不可能と言われる時代ではなくなった。
昨今のムーブメントにあやかって、野球のカメラアングル自体も、投打の二刀流ということには出来ないものだろうか…。

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