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カレーのスパイスが涼しい話

暑い夏はとにかく涼を求める。

コーヒーはアイスを、ラーメンより冷やし中華を、温泉より海を求めがちだ。そんな暑い中でも、一人だけ異端児がいる。カレーだ。あいつは、辛いくせに夏になると食べたくなる。汗をかきながら、スプーンの上に作られた美しい比率のルウとライスを口の中へと放り込む。カレーには夏が似合う。


その日もうだるような暑さだった。コンクリートから立ち上るムンムンとした熱気がパンツの中にまでしみ込んでくる。「もう限界だ」と思い、近くにある喫茶店へ足を踏み入れる。名前も知らない、何があるかも知らない喫茶店だ。分厚い入口の扉を開ける。からんころんとドアについたあれの音が心地よい。あれの名前は何なのであろうか。そんなことを考えながら、空いたソファに腰掛ける。エアコンが効いた店内はそれだけでお金を払いたくなるほど快適だ。さすがに何も頼まずに涼むのはマナー違反だと思い、年季の入ったメニューに目を落とす。「THE 喫茶店」といったメニューが並ぶ。赤と黄色のコントラストが美しい薄焼き卵のオムライス、わんぱくな揚げ物がラインナップされたミックスフライ定食、豪勢に盛られたイチゴが存在感を放つイチゴパフェ。どれも食べたい。しかし、時刻は昼下がり。さっき軽く昼ご飯を食べた私には、その全てを食べ切る胃の容量はなかった。そんな中、ひと際存在感を放つメニュー、カツカレーライス。主役は俺だと言わんばかりにセンターに構えるサクサクのカツ。普段は主役であるがこの時ばかりは控えに回るのもやむを得ない、でも確かな深みと辛さを持つルウ。サフランによってだろうか、真っ白ではなく程よく黄色の化粧をまとったライス。


気づいたときには、マスターを呼びそれを注文していた。爽やかなレモンスカッシュとともに。涼を求めて喫茶店に入ったはずだったが、わざわざ汗をかきそうなものを頼んでしまった。興奮が止まらない。生唾を飲み込んで料理の到着を待つ。


髭を蓄えた無骨な雰囲気のマスターが手際良くレモンシロップを炭酸水で割る。グラスに氷が当たる音が涼を感じさせる。目の前にあるこの液体はどうしてこんなにも涼しいのか。唾液がとめどなく溢れ出る。ガラスのストローから流れ出る黄色の液体に心まで奪われてしまいそうだ。いけないいけない、あくまでメインはカレーである。飲む量はセーブしなければ、と思いながらもう一口、またもう一口飲んでしまうのである。


レモンスカッシュで楽しんでいると、店の奥から鼻腔の奥を突く香りが漂ってきた。まだだ。まだスプーンを持つのはあまりにも早すぎる。ここで持ってしまうと流石にわんぱく小僧である。中身がガキであることは逃れようのない事実であるが、大人として生活している以上わんぱくさを他者に、ましてやオシャレなマスターに見られるわけにはいかない。ここは一息付い

「あ、ありがとうございます〜」

届いた。


おいしそう。めっちゃいい匂い。サクサクしてそう。もうこうなると止まらない。思うがままに具材が溶けて見えないルウと薄く湯気をまとったライス、これらを4:6の個人的黄金比でスプーン上に美しくセットする。そこに美しい比率を破壊するかのようにデデドンとカツを乗せる。もうこうなったら文化的な思考は働かない。野生的に口へとスプーンを運ぶ。


うまい。見た目の通りカツが主役だ。これは誰がなんと言おうと覆らない。しかし、ルウとライスも負けていない。確実に今欲しい味を的確に突いてくる。堪らん。もう次の一口のことを考えてしまう。


気がつけばライスがもうない。そうか、個人的黄金比で食べ進めると当然、ライスが先に無くなってしまうのだ。しかし、それも一興。ルウを贅沢なスープのように味わうのもまた違った良さがある。そして最後、好きなものは最後まで残しておく派が優勝間違いなしと言わんばかりに堂々と聳えるカツ、これを口へと運び無事フィニッシュ。脂をレモンスカッシュで流し込み、一夏の恋は終わった。


夏にカレーで涼しさを感じていた。

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