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青春を経た全人類共々辛い満たされない記憶の塊でしかない論

遠くを見続ける朝の獣道に反転するまでもなく、ネガを平べったく伸ばしながら記録は記録で別のお皿にモッテいく。

妖の前掛けに対して少し気流が発生してしまうのは仕方がないことだとして、コーヒーブレイクさながら甦るのは金髪の男かそれとも狙撃手か。

泣く子も黙る次の日が来た。

その時の自分の目線がもしかしたら鳥と同列のトランザクションかもしれないと考える。

泣けてくる。

明日から今日を見た場合それは過去なのか。

時代から今を見た場合、それは未来なのか。

ファッションから今を見た場合、それは季節なのか。

青春から今を見た場合、それは乳白色なのか。

少なくとも青春に関しては全人類の95パーセントが辛い記憶ほ塊として確定申告を提出している。

もちろん僕だって、青春のほとんどは苦しい記憶しかない。

欲求不満。

殆どの場合好きな異性に対する欲求不満。

そして、才能と向き合うことで浮上する自分が特別な存在じゃないという気づき。

誰かの力を借りなければ生きていけない不条理。

なぜかあの狭い空間に何十人も詰め込まれる圧縮技術。

なので安心しよう。

世界がネガティブになったわけじゃない。

もともと、青春はネガティブなのである。

吐き出す方法が海だったのか、汗だったのか、暴力だったのか、部活動だったのか、

セックスだったのか、抵抗だったのか、水責めだったのか、

それともSNSなのかの違いである。

別に今の若い子たちが特別病んでいるわけでも憂鬱なわけでもなく、闇系病み系ダークナイトでもダークサイドなわけでもなく。

そこにある普遍的青春に対する満たされない欲求からくる秒針に対する悪あがき、

平穏に対する相対性理論の実証。

もしかしたら、自分の力でエネルギーの矛先を重源的に超弦的に、伸縮可能なのではないか、次元を増やせるのではないか、

ランダム性の中で起きる七転び八起きな出来事の発生条件をコントロールできるのではないか。

瞼に浮かぶ景色に出会えるのではないか。

それくらいの熱量を体の中に抱えながら生きているわけである。

青春とは熱量だ。

カロリーメイト。

時間のスピードを変えることができるほどのエネルギー。

今日、時代が変わる。

世界のエネルギーは、流動性を求めている。

病んでいる場合ではない。

しかし、青春とは病むものだ。

それは紀元前のぜんぜんぜん。

ものをつくるのが好きで今はツールが揃っていてなんでも作りやすいから楽な時代だなぁって感謝しておりますジョブス。