見出し画像

人生邂逅 ・まなび編 ◆体験談から -20

出向から新たなスタートへ  株式会社JOLED

※このタイミング取り上げるのは、とても間が悪いのですが、ご容赦下さい


2014年10月 定年を4か月後に控え、幸運にも次の出番を与えて頂きました

それが、国策による有機ELディスプレイの開発、製造、販売の合弁企業JOLEDでした。

翌年1月末の定年まではJDI籍で出向。2月からはJOLEDの契約社員として勤務開始という条件でした。

あの、パナソニックとソニーが一部署といえども協力して新たな事業を立ち上げるのですから、興味が湧かないはずもなく、喜んでお受けしました。

本社は東京神田錦町。                        そのほか、京都と厚木に開発拠点をおく、3拠点体制からのスタートでした
人員は、200数十名。パナソニック、ソニー、ジャパンディスプレイ、新規採用のまさに混成チームでした。

わたしは、本社の人事総務で本社オフィスの立ち上げが主業務。
とはいっても、本社機能はほとんどゼロベースからの立上ですから、やることは山のようにありました。

社長曰く、                            「当社はベンチャー企業です。ないものだらけだということを覚悟してください。なければ、自分たちで作ればいいだけのことです。」と。

私は、幸いにも前職でJDI海老名オフィスの立ち上げを経験しており、このことが大いに役立ったのですが、そうはいってもまったく初めての経験もたくさんあり、興味深くも不安を抱えながら必死でした。

会社案内の作成、ホームページの立ち上げ、名刺のデザイン、社員証作成、などなど。本社ならではの仕事が待ったなしでした。

なにやかやありましたが、2015年1月には、無事(?)新会社がスタート。

これで、万々歳。といくはずだったのですが、ホームページ問題が 発覚!

HPは業者の方に依頼し、なんとか突貫工事で立ち上げ、会社設立には間に合ったものの、サイト検索してもなかなか検索結果が上位に上がってこない。と社長がおおいにお怒りになられたのです。

検索で上位に上がるには、その作り方に工夫が必要なのは常識なのですが、当時の私にはそんな見識など持ち合わせているはずもなく、毎日のように社長から攻められ、精神的にかなりきつい状態になりました。

そのため、遂には委託する業者さんを変更することにまでなるのです。

そんなこともありましたが、今となってはいい想い出です。

その後、結果的に丸3年間務めることになりました。              わたしにとって最も興味深かったのは、間反対とも言えるパナソニック文化とソニー文化がどのように混ざり合っていくのか。ということでした。

結論から言うと混ざり合うことはなかった。と言えます。

初代の社長もそこに随分ご腐心されており、
「P社とS社のDNAを大事にしながら、新たなJOLEDの文化を創って行ってほしい。」
と、何度も社員の皆さんに訴えかけておられましたが、まさにその通りだと思いました。

それは、お互いの違いを認め合い尊重するということです。

その後、拠点も京都、厚木以外に、石川、茂原と拡張され、人的交流も活発化する中で、異文化同士の衝突も克服しながら、次第に新たな文化が生まれてきたのではないかと思います。

その貴重な経験をぜひ、これからに生かしていって頂きたいと願っています


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?