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下げる必要のない頭。

昨年末のこと。
コロナで一週間ほど会社を休んでいた同僚が復帰して、皆に頭を下げて回るという一幕がありました。
詫びの言葉だけならまだしも、わざわざ菓子まで用意して配っている様を見て私の胸にはモヤモヤとしたものが……。

これは、はたして下げる必要のある頭でしょうか。
私はそうは思いません。むしろ、このように過剰に卑屈になってしまう人がいるせいで余計に生きづらい世の中が形成されているのではないか、と思ったのです。


人と人が関わる以上、そこには「かけて当然の迷惑」と「かけられて当然の迷惑」があります。
仕事を休み、休まれることはあって当然の事象ですし、原因がコロナであればなおのこと。
「自分が抜けた分をフォローしてくれてありがとう」と感謝するだけなら良いのですが、「休んでごめんなさい」などと言ってしまうからそれを罪とする暗黙の了解が社会の中に出来上がってしまう(罪を罪と規定するのは人間なので)。
結果、些細なことで他人の顔色を気にして疲弊する人や、相手におもねることを〈人付き合い〉と称するトンチンカンが出現する。

確かに、頭を下げてへりくだれば目の前の相手とは良好な関係を築きやすいかもしれません。でも、その倫理は一時しのぎでしかない。なぜなら頭を下げながら生きたいと思っている人など実際には存在しないから。
人間の生理に即さない倫理はいずれ歪みを生むでしょう。頭を下げ合う倫理ではなく、頭を下げ合わない倫理を考えるべきです。

今回菓子を配って頭を下げていた同僚のようなタイプが、例えば育休を取得する人に冷たい視線を向ける可能性が高いのではないでしょうか。それとも、ぺこぺこ頭を下げる人ほど他人にも頭を下げさせたいという醜い欲求を人一倍抱えていると考えるのは私だけでしょうか。
他人を屈服させたいというのもまた人間の生理でしょうけれど、そういう醜さに合わせて形成された倫理などクソ食らえです。


なんでもかんでも「自分に非がある」とすればそれは楽でしょう。
でも少しは考えてみてほしいものです。
その頭は、本当に下げる必要のある頭なのかを。