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文学は音読されても文学たりうるか。

JISAIONE 様の記事で VOICEVOX なるツールを知ったので私もさっそく使ってみました。


ボカロはだいぶハードルが高そうで手が出せないでいましたが、これはいくぶん簡単に喋らせることができるよう。
二時間ほどいじった後に作ってみたのが以下の音声です。詩の朗読になってます。

VOICEVOX:冥鳴ひまり


無調整でいけた箇所もありましたが、やはり自然な印象に近づけようとするとそれなりに手間がかかりますね。
短い詩の朗読くらいならまだしも、小説など長文の朗読はきつそうです。それがもっと簡単にできるようになってくれると色々楽しみがあるのですが。


■音読されても文学か

ところで、音(声)で表現された文学はそれでも文学と呼べるでしょうか。
言葉そのものが持つ性質を用いて表現されるのが文学なら、発話者の声の性質に影響されて言葉の印象が左右されうる音読は、文学の範疇を超えているのでは……。
しかし考えてみれば、言葉はどんな形であれ表現した時点で〈純粋〉でなくなります。
文字だっていわば〈絵〉ですから、手書きなら筆跡、デジタルデバイスならフォントの違いで読者に与える印象の差は必ず生じる。書道家はそれで飯食ってますからね。
文字が持つ視覚効果を踏まえて、どこまでが文学でどこからは文学でないかを決めるのは難しそうです。句読点や鉤括弧が表現者たちの妥協の産物みたいに見えてきます。


私は近頃洋楽のメロディーに作詞するということをやっておりますが、それについてはこう考えています。

文芸として生み出し、文芸でないものとして楽しまれる。

――で、いいじゃないか。と。


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