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しっかりごはん食べて、あったかくして寝な。

職場に認知症になった人がいる。症状が出始めたのは二年ほど前、彼はまだ五十代前半だった。

私が入社した当時、彼は工場の責任者だった。お世辞にもリーダーシップのある性格とは言えなかったが、その技術力や知識量は現場のトップとしてふさわしいものだった。
私は彼と二人体制で担当する業務についたので、彼から直接ものを教わる機会も多く、彼の「すごさ」を肌で感じたものである。


最初に異変に気づいたのは社長だった。
それまでの彼の仕事ぶりからは考えられないようなミスが続発していると聞き、私は信じられなかった。当時はまだ普通に会話もできていたし、私と担当する業務においてはミスもなかったからだ。

しかし、いざ病院で検査してみると脳の萎縮が認められたのだった。

元来控えめで感情の起伏を表に出さない彼は、検査結果を知った後も多少落ち込んだ程度でおおむね相変わらずに見えた。うろたえて、取り乱して、自暴自棄になられても迷惑なだけなのでこれは幸いだった。
結局、会社は彼の負担を減らしながらできるだけ雇い続ける選択をした。そのため、彼と業務の重なる私は、いち認知症患者の能力低下と子ども返りする人格を間近で観察することになったのだが、それは別の話。


私の関心は、なぜ彼が認知症になったか、その原因にある。

まず考えたのは〈天罰〉だ。彼は女遊びが原因で熟年離婚された男だった。
「バレちゃった」とヘラヘラ笑っていた彼に愛の神が雷を落としても何ら不思議はないのだが、非科学的な話なのでこれは置いておこう。

以前TEDに出演した脳科学者は、認知症予防には新しい刺激・学びが大事と言っていた。クロスワードパズルみたいに過去の記憶を引き起こすだけだとあまり効果はないらしい。
とすると、変化に乏しい生活は脳に良い影響を与えないだろう。
彼の生活はまさにルーチン化されていた。業務の上では(幅広く熟練しているがゆえに)新しい刺激はなかったろうし、休日はオートバイで外出はするものの、毎度同じ場所へ行って同じ顔ぶれと煙草を吹かしているだけだと本人が言っていた。子どもはすでに成人し、前述の通り妻との関係は冷え切って何年間も会話がない。家に帰っても自室でテレビを眺めるだけで、夜の十時には寝ると言っていた。

考えれば考えるほど「そりゃボケるのも無理ないか」と思えてくるが、このくらい決まりきった毎日を送る人間は彼でなくてもごまんといるはずだ。私はいまひとつ核心に迫れていない気がしていた。


そんな折、つい先日のことである。
noteで以下の記事を読んだ。

まだ科学的根拠が十分でない説とはいえ、下剤の常用と認知症の関連を示唆する研究があるという。

これだ!
――と私は唸った。

例の彼もまた、下剤を常用していたのだ。
彼がまだ正常だった頃、「何年も自然にウンコしてねえ」と言っていたのを思い出した。

どうやら理屈としては、

腸内環境が乱れる

身体から脳へと変な信号が送られる

認知症リスクが高まる

ということらしい。

身体の変化が脳に影響? と一瞬不思議に思ったが、考えてみると例はいくらでもあった。臓器移植をしたら性格が変わったとか、視力を失ったら聴覚が研ぎ澄まされたとか。
かつて私も尿道炎になった時、体がどうというより気分の激しい落ち込みを感じ、いかにポコチンが男にとって精神の主柱たるかを思い知ったものである。


三好春樹著『老人介護じいさん・ばあさんの愛しかた』に、夜に大声をあげたり幻覚症状を示したりした認知症患者の記載がある。想像するだけで〈末期〉の二文字を過ぎらせるこの患者はなんと、ただ便秘を解消しただけでそれらの症状が消えたらしい。
このことからも、精神と身体それぞれの異変には密接な関係があるとわかる。


酷く落ち込んだり悩んだりする子どもに母親が声をかける――そんな場面では、こんな台詞が思いつくだろう。

『しっかりごはん食べて、あったかくして寝な』

精神の健康とは結局、これに尽きるのかもしれない。