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私は占いでお金をもらいたくなかった


私は最近、占いとアイコンイラスト制作のお店を開きました。
まだプレオープンですが……今はモニターさんを募集して、無料でサービスを試運転させていただいているところです。なので、まだ収入にはなっていません。でも私は幸せです。

そもそも、元々私にとっては占いもイラストも、収入にならなくたって好きでやってしまうようなものでした。

占いについては、通話アプリを起動しながら、あるいはタロットカードを友人宅へ持ち込んで、友達を占わせてもらうことが私のささやかな楽しみでした。
もちろん、趣味でやっていることですから、対価はもらいません。私も楽しくて相手も楽しんでくれるなら、それでwin-winなのですから、それ以上欲しいものなんてありませんでした。

むしろ、もしもお金をとってしまったなら、この純粋なwin-winの均衡を崩壊させてしまうような気がして……なんていうか台無しになるというか、水を差すような感じがして……「私は占い師を仕事にはしないぞ」と心に誓っていたこともありました。あったんです、実は。

でも、結局占い師になってしまいました。私がよく占っていた友人たちが、いつもたいへんに持ち上げてくれたおかげです。会うたびに「けんちじ先生、いつお店開くんですか!?」と言ってくれたおかげです。
その言葉が、私は嬉しかったのです。嬉しかったので、つまり私は占い師になりたかったということなんだと思います。そのことに気づくには、少し時間がかかりましたが……でも、めげずに背中を押してくれてありがとうございました。

そんなことを口にすれば、友人たちは「大したことはしていない」と言うかもしれません。むしろ、今私は感謝しているとしても、この道を選んだためにあとで苦しむのかもしれません。
……だとしても、そうだとしても、私は今満足してるんです。


私は占いでお金をもらいたくなかった


私がカード占いというものに出逢った経緯は、前回の記事でざっくり説明しています。

記事にあるように、カードを集めるうちに自分でも占ってみるようになった私ですが……当時の私は、占いでお金をとるということに懐疑的でした。
そして、そのことに悩んでいました。
占いのことは大好きなんですが、「占いはお金をもらってやるものじゃない」と思っていたんです。理由はいくつかあります。


必ず喜んでもらえるような結果は渡せない


まず、サービスを受けたすべての人に、一定以上の満足感を約束できないということです。
占いは無形の価値を提供するものであって、宣材写真にある形あるモノを、その通り量産して販売するのとは違います。期待通りのものをお出しできる保証がありません。

せっかくワクワク期待して占いを受けてくれたとしても、望み通りの結果をお伝えできないことがあります。どんなに私のことを信頼して、頼りにして来てくれた方だったとしても、お伝えする結果によってはその人を悲しませることになるかもしれないのです。
それは、私にとって堪え難いことでした。

私の提供するものを楽しみにしてくれる人が来て、私も嬉しくて……そんな方には、絶対に喜んで帰ってほしいのです。なのに、残念な結果しかお出しできないなんて……しかもお金までもらうなんて、追い討ちをかけるようだと思いました。
だからせめて、「受け取るも受け取らないも自由だよ」と言って差し上げられる……金銭のやりとりのない……フラットな関係で占いをしたかったのです。損をしたなんて、思って欲しくなかったのです。


相手の将来に責任がとれない


占いをやると、その人の未来がどうなっていくかを視たり、どんな道を選んでいくのが最善かを視るということがあります。
ということがある、というか……ほとんどそればっかりです。誰だって、未来をよりよいものにしていきたいと思ってるのですから、そりゃそうだという感じですが。

私もタロットでそういう「未来を占う」ということはやるのですが、……これは体感も含めてですが……未来を視ても、大して当たりません。占い師がこういうこと言うのどうなの?って感じなんですが(笑)「現状を視る」方が、よっぽど当たります(これはあくまで私の体感です)。
なぜなら未来というのは無数のパラレルがあり、不確定なものだからです。数え切れないほどのたくさんの【未来へ続く扉】があったとして、カード占いで出せるのは、その中の手近な扉のひとつをちょっと開けてみるようなものです。(これが生年月日で出す統計的な占い……例えば西洋占星術とか、四柱推命とか……であれば、もっと「魂の計画」により近い未来が導き出せるのかもしれません。あくまでカード占いの場合です。)

しかし、「未来」を視ることは無駄にはなりません。「未来」は「現在の自分の状態」によって作られていくもの。「このまま進んだ場合の未来」を視ることで、今後の人生をより望ましい方向へ変えるよう、舵を切りやすくなってゆくからです。
あと、こんなこと言ってますがたとえ未来のことでも、当たるときは本当にびっくりするほど大当たりすることもあります。要するにお伝えしたいのは、「鵜呑みにしない」ということさえ出来ていれば問題ないということです。

ただ、このことを「占いを受けてくれた相手」にわかっていてもらわないといけません。そうでなければ、もし未来を視ても、まるでソシャゲのガチャを回すみたいに「やった、SSR(最高にいい結果)出たぁ〜!ラッキー」みたいな感じで、一時の快楽みたいに情報を消費するだけになってしまいます。
あるいは、「言われた通りにならなかったぞ!」とか恨みを抱かれたとしても、私に責任はとれないのです。その人の人生はその人だけのものであり、その人の選択の連続が生み出した結果なのですから。

もしタダで占いをやっていれば、「当たるも八卦当たらぬも八卦、ですから……」と追求を逃れやすいかもしれません。
ただ、それが「お金を払った結果だ」となると、よりタチが悪いように思ってしまい……それが、私が占いでお金をとりたくない理由の一つでした。

人によっては、「占い師は当ててなんぼ」みたいな考え方の方もいらっしゃるかと思います。
私も以前は、どちらかというとその考え方がありました。
誰かを占わせてもらったときに、結果を「当たった!」と言ってもらえれば「いいリーディングができた!」と思い、「あまりピンとこなかった」と言われれば「うまくできなかった」と凹んだりしていたのです。

ただ、今の私は当てることをそこまで重要視していません。占いが当たることより、その方がここから気付きを得て、人生をよりよいものにしていける……その手助けができることの方が、よっぽど重要です。

そうはいっても、お金を介して占いというサービスを提供するときには、私は依頼者が「占いの価値をどこに置いているか」ということにアレコレと口出しすることはできません。その人は「占い師は当ててなんぼ」派の人かもしれません。
でも、お金をいただく以上は私は責任をもって鑑定するでしょう。その結果、その人は超怒っちゃうかもしれない。私の思いなどわかってくれないかもしれないし、暴言とか言われちゃうかもしれない。でも、お金をくれるから、お金という対価のために、私はその怒りを真正面から受け止めるのかもしれません。

以前の私はそんなことを想像したら、「占い師なんて絶対ヤダ」と思いました。
自分にそんな事態を受け止めるだけの器が、覚悟があるとはとても思えなかったのです。痛い目見て、凹んで、しまいに占いのこと嫌いになっちゃうのもイヤだったんです。


依存させたくない


普通、どんな商売をしていたとしても、常連さんができるのは嬉しいものです。ただ、こと占いにあたっては、「リピーターができるのは本当に喜ばしいことなのか?」と、私はよく疑問に思っていました。

占いというコンテンツは、依存性が高いものであると知っているからです。「占いジプシー」なんていう言葉もありますが、占いを頼りにするあまり、自立して生きていけない状態の人もいます。
もし私の占いをとても気に入って、何度も利用してくれる人がいたとして……その人が私の占いを利用するようになる前と後で、幸福度が全然変わらず低いままなのだとしたら。先が見えず、自分が信じられず、劣等感を抱えて生きることをやめられないままなのだとしたら。
いくらお金を落としてくれようが、少しも喜ばしくなんてありません。

確かに私は、誰かが私の占いを気に入ってくれることが、すんごく嬉しいのです。そりゃあもう、そんな人のためにはいくらだって占いたいのです。それこそお金を頂かなくたって占いたいし、いくらだってお力になりたいのです。
だけど、私は最終的にみんな、私の占いの力を借りずとも幸福に生きていってほしいのです。私にとっての占いは、そうなっていけるように導く為の占いです。教え導いた後には、喜んで卒業生を送り出したいのです。

そんな思いで占いをやるということに、以前の私はちょっとしたジレンマを抱えていたというわけです。だって、私の占いを頼ってこられるのが嬉しいのに、リピートされることをあんまり素直に喜べないんですから。
そんな後ろ暗い気持ちでお金をいただいても、「人の弱みにつけこんで手にしちゃったお金」みたいに感じるのがイヤでした。
そして、「また利用してくださいね」なんて明るい顔で、「占い依存の迷いの森」へ手招くような素振りもしたくなかったのです。


私を悩ませた「A子さん」の例題


ここまで、たくさんの「職業:占い師になったらイヤなこと」を書いてしまいました(笑)。
これだけ占いを仕事にすることにモヤモヤモヤモヤしていた私が「職業:占い師」を受け入れられるようになるには、色々とこう、考えの変化とかがあったのです。
今回の記事は少し長くなり恐縮ですが……私にとって、現在の私の占いのスタンスを作るきっかけを作ったエピソードのことを、ここからはお話させてください。



今から3年くらい前、私は近くの占い師の先生の元で、タロット占いの講座をしていただいていました。
ある日の講座で、「実際の悩み相談を想定して、与えられたテーマをタロットで占ってみる」という……ようするにタロットの実技練習みたいなものをやることになりました。
このときの例題は、大体こんな感じのものでした。

相談者であるA子さん(35歳)は、B男さんという気になる男性がいる。
A子さんは年齢を考えてもそろそろ結婚をしたいを考え、焦りを抱えている。
A子さんは、このままいったらB男さんと結婚できるか?
また、B男さんは結婚相手としてよい人かどうかも知りたい。

この相談内容は完全に架空のものです。A子さんもB男さんも実在しません。ひとまずこういう相談がきたとして、タロットカードを引き、カードの並びから結果を読み解いて鑑定をする……ということをやります。

このとき私は上記の通りに、鑑定をする為タロットカードを引き、並べました。何枚か並べたカードの目を見た私は……
やや困惑し、結果を言い淀みました。
カードの並びを見た瞬間、「これは何やら芳しくないぞ」とわかってしまったからです。つまり、見るからに結果がよくないのです。

ですが、カードの出た目から結果を伝えねばなりません。私はA子さん役として目の前に座られている先生に向かい、以下のような内容を話し始めました。

・B男さんはA子さんの結婚相手として、正直にいうとあまり理想的とは言い難い。
・しかし、B男さんにはこういういい部分もあり、付き合い方次第ではうまくやっていける可能性はゼロではない。
・A子さんが他の出逢いを求めるなら、他にいい人もでてきそう。

と、まあこんな具合に。

すると、私の鑑定結果を聞いた先生は、私の解釈に言葉を加えながらいくらか同意できる箇所を示したあと、こんなことをおっしゃいました。


「でも私だったら、『その人(B男)はやめた方がいい』とズバッと言っちゃうけどね。」


……
私は先生のこの言葉を聞いて、めちゃくちゃ重くてでっかい木槌でガツンと打たれたようなショックを受けました。
私は、「はっきり言うのはA子さんが可哀想だ」と、心のどこかで思っていたのです。A子さんはB男さんのことを本気で好きで、諦め切れなくて相談に来ているかもしれないからです。そんなA子さんにはっきりと「B男はダメだ!」と言ってしまえば、A子さんの柔らかい心を傷つけてしまうのではないか、と私は思っていました。
なので、「選択肢はいくつもある」ということを、私はA子さんに伝えたかった。A子さんに希望をもって欲しかったのです。

そのことを先生に伝えると、先生が話されたのは別の解釈でした。

「A子さんはB男さんを早く諦めたくて、背中を押してもらうために占いに来たのかもしれない。」
「A子さんは年齢のことも気にしていて、迷っている暇がない。ここで結果を濁したって、A子さんの為にならない。」

……確かにそうかもしれない。
……いや、A子さんなんて、そもそもいないんだけど。
じゃあ、なんで私はこんなA子さんの気持ちばっかり考えて、寄り添いたいとか意味ないこと考えてるんだろ。
というか、私の回答はそんなによくないものだったろうか?私にはそうは思えない……


この日は帰ってからも、私はずーっとモヤモヤモヤモヤしてました。
あんまりにモヤモヤしてしまって、この例題を境に、私はついに講座を受けにいくこともなくなってしまいました。
(やがて1年ぐらいぶりに先生の元を訪れたのは、占い師になる意思を固めてからのことですが、それはまた別の話です。)

A子さんなんて存在しないなら、私のやり方と先生のやり方、どっちがA子さんの為になるかなんてわからない。

A子さんにとってどっちがいいか、より……A子さんにどう思ってほしいかより。
私はどうしたいんだろう?
どうだったら後悔しないんだろう?
どうだったら納得できたんだろう?




私はそれから数ヶ月単位で、実在しないA子さんのことをふと思い出しては、考えていました。そして、やがて……ある結論に至ったのです。

「最適な選択は、A子さん自身が自ら気付き、自ら選び取っていかなければ意味がない。」

「A子さんの例題」のことがあってから、私は何度も無力感に襲われました。
実は、占い師にできることって、そんなにないのです。
A子さんを本当の意味で納得させ、本当の意味で救ってあげられるのは、A子さん自身の他にはいないのだ。

そのことにA子さんが気付いていないのなら……それに気づけるように、私が手を差し伸べてあげること……私はそれがしたい。

「正解を与えることが、占い師の務めではない。」
「相談者がいつでも自分の選択を信じて歩んでいけるよう、それを生き方にしていけるよう、その道中を手伝うことが占い師の務めだ。」

そのために占いを使いたい。私はそういう占い師になりたい。そういう占い師だったらなってもいい。

そんなふうに思ったのです。


お金を払ってサービスを受けることの「救い」


私は元々、自作に対しての検閲の目は厳しい方で、何につけても「お金をとれるほどの腕前ではないし……」と思っていました。多分、完璧主義で上ばかりみてしまう性質もあってのことなのですが。

ところが、自分では「それほどでも」と思っていても、「お金を払うからそのサービスやってほしい!」と思ってくれる人は、案外たくさんいるものです。それどころか、「アンタの作品は本当に最高だというのに、全部タダで一銭も振り込む先がないのが辛ェ……頼むから金を払わせてくれェ……!」みたいな、「金を払いたくて払いたくてどうにかしちまいそうだッ!!」みてえな人もいるのです。
長らくSNSをやってきたことで、周囲の人間を見ているうちに、そういうのに気づきました。そしてこの事実は、「得意なことを仕事にする」ことを私が受け入れられるようになるまでを、いくらか手伝ってくれました。

また、私はもうひとつ重要なことに気づきました。
「お金を払う(=取引と割り切る)ことで、他人に悩みを相談しやすい」という人もいるということです。
例えばイギリスなど、海外では気軽にカウンセリングを受けるのが当たり前のようになっている国もありますが、日本は違います。
多くの日本人は日々心が病みやすい社会生活を送っているにもかかわらず、精神的な理由で医療機関を受診したり、カウンセリングを受けたりするのは何か重大なことのような気がして、勇気を出せない人が大半のはずです。
かといって、愚痴をこぼす相手もいなかったり、身近な人にこそ本当に悩んでいることが打ち明けられない……なんてこともたくさんあるでしょう。
そんな方々にとって、占い師はきっと都合のいい相談役となるはずです。医療機関を頼るよりは、占いの方がいくらか気軽なものでしょうから。

身近な人にも身近じゃない人にも、どちらにせよ相談を渋ってしまうような悩み事があったとして……もしも占いというサービスを利用するのなら、皆さんお金を払うことになります。
そうなったらもう、「ちゃんと一番聞きたいことを聞いて元を取ろう」という思考だって起きるでしょう。しかも、気に入る鑑定結果じゃなかったとしたら、「あの占い師はあんまりだったな。腕が悪かったな」と思って、二度と会わなければいいだけの話です。特別リスクはありません。
そう考えたら、占いというサービスには救いがあります。占いにお金を払って相談する、というプロセスが大事なのです。

前半に長々と書いたように……私は「お金をとってまで占いなんてやるもんじゃない」とか思っていたわけですが……はじめ私は「占いをする側の立場」の視点ばかりを考えて、「占いをしてもらう側の立場」に立ったときのことを考えていませんでした。
ですが、占い師ほど都合のいい相談役はいないのではないか、と考えを改めることができました。「“お金をもらって占いをする”占い師」こそ、悩める人々の救世主たり得るかもしれないのです。
そう思ったら、「職業:占い師」は大変に誇らしいという気がしてきた私であります。


「当たる占い師」よりも、「メンターたる占い師」に


私は、どうせ占いを仕事にするならば、自分ならではの信念をもってやりたい。占い師を志したときには、そう強く思いました。
その信念とは、「当たる占い師」より、「信頼できる、メンターたる占い師」でありたい……ということです。
そうでなければ、私があえてお金をもらって占い師をやる理由がないのです。ただ占いをしてイイ気持ちになりたいだけならば、友達をタダで占って楽しくなって、それで終わりでいいのですから。
それくらい、私にとっては重要なことです。

とはいえ、私はカウンセラーではありません。カウンセリングに必要な知識は持ち合わせていませんし、心が弱ってしまった人を元気にする正しい対処法などわかりはしません。
ただ、私は専門家ではなく、いつでもなんでも相談できる隣人として、悩める人の側にいたいのです。
そして、皆自分らしく、まっすぐと生きていけるように。そのことを手伝わせてください。
私はそのために。





いらねぇ後書き


やたら長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。お疲れ様です。
いろいろ話題が散らかったり、まとまりがないようにも感じてしまっているのですが、「まあいいやもう公開しちゃえ」って感じでポイッ!って公開しちゃうと思いますこの記事は。

この記事、休み休み都度校閲しながら書き進めてきましたが、なんか全体的に結構マジな感じの雰囲気で、読み返すたび「私って熱い女だな」と他人事のように思いました。多幸感いっぱいの食後とかにこの文章見てると、多少疲れます、なんかアツくて。温度感が。今の私はなんかもうダルダルです。

まあ、好きなことに熱くなっちゃうのはしょうがないっていうかね。一生懸命でかわいいですね。そんな感じです。
また遊びに来てくれたら嬉しいです。



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