見出し画像

無責任な大人が世界を救う

所属しているNPOでスタッフや理事が持ち回りで書いているコラムがあるのですが、そこで書こうと思いながら書くのをやめた話をここで書こうかな。

ちなみに、そのコラムはこちら。
いろんな人が「協働」をテーマに書いています。
協働という言葉も、人や組織によって定義が異なるから、多様なコラムを読むことができて面白いなと、毎回更新されるのを楽しみにしています。



育てなくていいという無責任さ

叔父が競技ボウリングをやっていた影響もあり、私も幼少期から同じように競技ボウリングをしていました。
県内の競技人口が少なかったこともあり、練習や大会は両親と同じくらいの年代の方々と組んで行うことがほとんど。

愉快なおじさまたちが多くて、ボウリング場に行くだけで「よく来たな」と迎えてくれる。ここに来れば自分を見つけてくれる人がいるという安心感を、思春期を迎える前に感じれていたことは、幸運でした。

学校の先生も、両親も、子どもをちゃんと育てないと、という使命感がありますよね。それは当然のことだと思うし、しつけも管理も必要なことだと思います。
一番近い大人だからこそ、素直な気持ちを言えないこともあるし、気持ちや行動を正されることもある。でもそれだけでは苦しくなっちゃうんですよね。

ボウリング場のおじさまたちは、私が突拍子もない夢を語っても「おお~いいじゃん」というし、きっと失敗することがわかっていても「まぁとりあえずやってれば」といってくれていました。
両親はダメっていうんだよ~と愚痴をこぼした時「まぁ俺は親じゃないからな。そりゃ自分の子どもだったらダメっていうよ」と言われたんです。
その時は、そうなのか~くらいにしか思っていなかったけど、いろんなことを考えられるようになった高校生の頃には、自分の子じゃないなら責任もないし、気楽に聞けるのかもしれないなと思いました。

気持ちを肯定してくれる大人の言葉

それが両親的にも学校的にも良い方向でないことを理解していても、一度はボウリング場で自分の考えや気持ちを話していました。

「Aはダメ。Bにいきなさい」
という意見だけを聞き続けるよりも
「Aがいいのか。いいと思うよ」
と一度でもいいから言われると、「自分が今持っている感情は持ち続けてもいいのか」と思うことができて、必要以上に自分を責めることをしなくて済む。

いいと思う

という、無責任な大人たちからの言葉が、自己肯定感を低くせずにいられた大きな要因だった思うし、少なくとも私は孤独の世界から救われてました。

居場所の数が自己肯定感に影響する

内閣府が毎年発表している「子供・若者白書」で居場所の数と、自己肯定感の関係を整理した調査結果があります。
(子ども家庭庁への移行期間なのか、現在内閣府のHPでは閲覧できなくなっていました)

その結果を見ると、自分の部屋や家庭、学校、地域、など居場所の数が多い人ほど、「自己肯定感」が高くなる傾向があります。
令和4年度の調査結果によると、居場所が1つの人が約10%に対して、6つ居場所がある人は約70%と、約60%も差があります。

同様に「チャレンジ精神」「今の充足感」「将来への希望」の項目に関しても、居場所の数が多いほど高まる傾向に。

実感として自分が自己肯定感が高いか低いかってわかりづらいと思いますが、自分を自分で肯定するよりも前に、自分のことを肯定してくれる居場所を持つことが自己肯定感に大きく影響しています。

そういう自分の存在を肯定してくれる場所だということを学校や社会では感じることが難しいんですよね。成果を出すことが必須だったり、大きな組織の一員として居ることが求められる環境だから。

子どもに限らず、大人も自己肯定感が低い

数週間前に職場で開催した講座でも、「自己肯定感」がキーワードになっていました。
居場所の数が自己肯定感に影響するのは子どもだけではなく、大人も同じこと。

今感じている生きづらさを、少し風通しよくするなら居場所を持つことしかないと思うし、生きていくためのリスクヘッジとして市民活動が認知されていくといいなと思っています。

さて、数週間前に開催した講座のアーカイブ配信がスタートしました。
ぜひ興味のある方はご覧ください◎

▼【ながおか協働基金】地域の未来のためにわたしたちができること ─コミュニティファンドの可能性について考えるフォーラム

▼そしてこの講座の感想などなどを話している上司のPodcast
私よりももっと先を、もっと深くを考えているので、より社会的処方についても知ることができると思います。50分ありますが(そして雑音で聞こえないところもありますが)ぜひ!


この記事が参加している募集

今こんな気分

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?