若き歌人に想うこと

※今回の投稿は決して楽しい内容ではありませんので、この後を気分よく過ごしたいという方はスルーして下さい。

「閃き」と言えば聞こえは良いのですが、所謂ネットサーフィンでの「衝動買い」でした。萩原慎一郎さんの「歌集 滑走路」を読み終えて本記事を書いています。「歌集」、つまり歌人である萩原慎一郎さんの短歌が収められている本です。萩原さんは17歳から短歌を作り始めて、数々の賞を受賞するなど、いつしかその才能が注目されるようになり、詠み始めてから15年後に本書が刊行されました。とても不器用な強さと繊細さ、シャイで素直で優しさに溢れる若者だったのかな・・・と勝手な想像をしてしまいます。

なぜ私が本書を手にしようと思ったか、それは著者が自死により亡くなっていたからです。しかも彼の夢でもあった歌集の出版まであと半年だったにも関わらず・・・享年32歳でした。彼は中学校から高校卒業まで暴力を伴う苛烈で陰湿なイジメを受けていたそうです。高校卒業後はイジメの後遺症に悩まされながら通信制の大学を卒業し、その後は非正規雇用で働きながら夢である歌集を出版(短歌業界は自費出版が慣例とのこと)するために頑張っていたそうです。しかし非正規雇用で働き続ける不安、そしてイジメの後遺症にも悩まされ続け、歌集の出版を前に自ら命を絶ったそうです。余談ですが、萩原さんが亡くなった後、彼の人生は映画や小説にもなっています。

私は強く思いました、「これは自殺じゃなくて、他殺であり殺人だよね」と・・・。確かに直接的な死因は萩原さん自身だったかも知れませんし、法律的にもそのように判断されて然るべきです。しかし、間接的な要因、根本的な原因として間違いなくイジメがあった。ここでイジメていた人達を「殺人者」と言いたくなるのは、冷静さを欠いた表現であり、大人の対応ではないことも十分に承知していますが、そうとでも言わないと「やるせない気持ち」を処理できない自分がいることも事実だったりします。その殺人者達は生きていれば現在は40歳、彼らは萩原さんのことをどう思っているのだろうか。これは私の勝手な想像でしかないが「自責の念に駆られ、後悔の日々を送っている」なんてことは多分ないのだと思う。きっと「自分の同級生で短歌で本を出して映画にもなったヤツがいるんだぜ」なんて酒場の自慢話にしているか、記憶から完全に消し去り奥さんや子供と平穏な家庭を築いているのではなかろうか。そんなことを考えると、あまりに辛く、せつない気持ちになってしまいます。

萩原さんの短歌は、学校の教材にも採用されているそうです。私は思うのです、せめて「萩原さんの短歌が殺人者の子供達の心に届きますように」と・・・。そして、その子供達には殺人者に「ねぇねぇ、この短歌すてきだね」と言って欲しいと思う。そうしたら、殺人者達は萩原さんのことを思い出し、後悔と懺悔の気持ちを持ってくれるかも知れない・・・そんな想像すら性善説すぎるのかも知れません。

私は萩原さんの歌集を読み、本記事を書きながら、数年前に中学時代の同級生から同窓会の手紙が届いたのですが、返信用のハガキがあったにも関わらず、一瞥してゴミ箱に捨てましたことを思い出しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?