コンプレックスが長所に変化した話し

先日、私が投稿した記事について、X(旧Twitter)で交流のある”まりりん”さんが紹介していただき、内容についても深堀りしてくださいました。

私はとても嬉しくて、そのお礼を伝えたのですが、まりりんさんはいつも私の投稿を見てくれていることから、私の記事に対する印象を教えてくれました。
私の投稿を見てもらえるだけでも嬉しいのに、このように感想まで教えてもらえるなんて、私にとっては本当に贅沢なことだったので、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
実は私の記事に対する印象は、以前にもXで繋がっている別の方からも教えてもらったことがあるのですが、その方とまりりんさんが感じた「私の記事に対する印象」には共通のキーワードがありました。

それは「読みやすい」。

ここで誤解がないようにシッカリと書いておきますが、私はこの感想をとても嬉しく思っています。
・・・ですが、実はちょっぴり複雑な気持ちがあったことは事実です。
それは、私が「読みやすい」は「短所」とか「欠点」だと考えていて、むしろ「コンプレックス」にすら思っていたからなのです。

「もっと文学的で格好いい文章に出来たらなぁ」
「もっといろんな言葉を駆使して、表現を豊かなものにしたいなぁ」
「もう少し年相応の重厚感や知的な雰囲気があるといいのになぁ」

・・・完全に「ないものねだり」なのですが、私自身は自分の書く文章に対して、このような評価をしていたのです。特に最近ではnoteで「スキ」してくれた方の投稿も拝読させてもらっていて、皆さんのレベルの高さに驚いていたので、なおさら自分の文章に自信が持てなくなっていました。

そんなことを考えていたときに、私はふと「あるYouTubeの動画」を思い出しました。
それは「出版区」というYouTubeチャンネルで、「こんまりさん」こと近藤麻理恵さんが本屋さんでインタビューをされている動画なのですが、そのやり取りのなかで、こんまりさんが、このような話しをされていたのです。

「普段本屋ではどこをチェックしますか?」
『私がチェックするのはいつも王道のベストセラーなんです』
「ベストセラーの共通点みたいなものってありますか?」
『やっぱ、読みやすさ』
『これは必ずベストセラーに共通していて(中略)、言葉で伝える立場としては一番大切なモノだと思っているので・・・』

この動画を観たときの私の感想はこんな感じでした。

「さすが”世界のこんまりさん”だよなぁ」
「”読みやすさ”を大切にしているから、多くの人に読まれているんだよ」
「確かに、こんまりさんの本は読みやすかったしなぁ」
「読みにくい文章だと、読んでる途中で嫌になっちゃうもんね」

そして、私の頭の中では「二人の自分」が会話し始めました。

『こんまりさんが”読みやすい”はベストセラーに共通していて、大切なことだと言っているんだよ。だからオマエの文章は悪くないんだよ』
「だけど、自分の場合は簡単な文章しか書けないだけなんだよ。プロの人達は難しいことを簡単な言葉で説明するから凄いと思うんだけどなぁ」
『結果的に”他人に見せる文章がわかりやすくなっている”、という意味では一緒だよ。もちろん素人なんだから粗さもあると思うけど、少しくらいは自信を持って良いと思うよ』
「そうかなぁ・・・」
『そうだよ、そもそも今のレベルで難しいことを書いても誰も見てくれないよ。読みやすい文章だからこそ、いろんな人に読んでもらえる可能性もあると思うよ』
『何と言っても、褒めてもらっているのだから、素直に喜ぼうよ!』
「う、うん・・・わかった!」

よくよく考えたら、私の文章を「読みやすい」と評価してくれた”まりりんさん”は小説を執筆したり、音楽活動もしている方です。そして、もう一人の方もライブハウスで歌手活動をされている方なので、お二人ともエンタテイナー、クリエイターとしてはプロなのです。
そんなお二人が私の文章を読んでくれただけでなく、ポジティブな感想を届けてくれたことは、普通に考えれば「素直に喜ぶべきこと」なので、今では「もう少し自分の文章に自信を持って良いのでは」と感じています。

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