道民として書かさったお題

生まれ育った北海道から出たことがない身としては、生まれてこの方それが当たり前のこととして生きてきたからそれが特段便利な表現だとは思っていなかったんだけど、東京の人と話をしていて「押ささる」「書かさらない」などの「~さる表現(本当はなんていうか知らないけど)」の便利さに最近気づいた。

これは意味が二つあって、自分の意思とは無関係に「~がなされる」という意味と、たった今それが「~できる」状態という意味なんだけど、(前者例:勝手にボタンが押ささった、インクがなくてペンが書かさらない/後者例:まだボタン押ささってない?、インクがないけどペン書かかさったわ 等)どちらの使い方にしても「~さる表現」は北海道弁らしい。私はもはやこの「~さる表現」以外でどういう言葉で表せばよいのかすら想像がつかなかったんだけど、東京の友人によると「~されてしまった」が正解だそう。

なんかニュアンスがちょっと違うっていうか、正確にその意味を表してる言葉ではない気がしないでもないけど、どうでしょう、この「~さる表現」、便利じゃないです?

たとえばカバンにスマホを入れていて、画面が勝手に動いてたとき。標準語では「勝手に動いてしまった」なんて堅苦しい言葉でいうのかしら。北海道弁なら、「勝手に動かさってた」で完了。

坂道で足が止まらないときは走らさる。立て板に水のごとく話が止まらないときは喋らさる。「こんなに走ってしまった」「こんなに喋ってしまった」じゃ、不本意感が伝わらない。

そう、この「~さる表現」は責任の所在が自分にはないんです。あくまで自分の意思に反して、というのがポイント。人生は選択の連続だけど、それほど本意で行動してないことだってあるじゃないですか。そういうことをふんわり表現するのがこの「~さる表現」なわけで。私は北海道が日本に誇れる一つの言い回しだと思っています。

というわけで、私が考える #北海道のここがえーぞ は「~さる表現」です。


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