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2023年映画感想No.63:インスペクション ここで生きる(原題『The Inspection』) ※ネタバレあり

自分のセクシャリティを否定したい主人公

新宿武蔵野館にて鑑賞。
ゲイであることで母親から勘当されホームレス生活を送っている主人公のフレンチは海兵隊に志願することで社会から認められる人間になろうとしている。
出生届という「男」であることを証明を受け取り、入隊して髪(=女性的なモチーフ)を切り落とす一連の流れが自分のセクシャリティを拒絶したいフレンチの心情と重なる象徴的な演出になっていて上手い。

アメリカ的マッチョな価値観の病理

劇中の設定は2005年で、まさに9.11、イラク戦争以降の価値観が大きく揺らぎつつあるアメリカが舞台。当時のアメリカ共和党政権が作り出そうとした"正しさ"が間違っていたことは歴史が証明しているわけで、この映画内で海兵隊が定義する価値観もまた映画が作られた2022年時点においては完全に時代遅れになっている。
「男らしさ」の同調圧力に迎合することでアイデンティティを取り戻そうとする主人公だけでなく、そこに順応しようとする全ての登場人物がみな不必要な分断を抱え込まされ、個人の意思を抑圧されているという意味で等しく被害者のように映る。

分断を乗り越える個人の良心

フレンチはシャワールームで不意に欲情してしまい早々に同期生たちにセクシャリティを露呈してしまう。理性ではどうにもならないものとして身も蓋もなく表れる性欲が主人公のやろうとしていることをあっさり否定してしまうような展開が中々厳しいのだけど、自分自身を否定しようとする彼もまた変わらなければいけないものとして描いているのだと思う。
変われない自分と変わらない社会という矛盾する"正しさ"の狭間で答えを出せない苦しみがとても切実に描かれているのだけど、彼が「自分以外のマジョリティ」として対峙している組織の人々の中にも同じように「自分と自分以外」という断絶の中で誰にも打ち明けられない抑圧や孤独、弱さを抱えている個人がいる。
そうやってアメリカ的なマッチョな価値観に対しての破綻に苦しむ個人たちが良心によって社会が作り出す分断を乗り越える瞬間があり、そこから見える「苦しんでいるのは自分だけじゃないのかもしれない」という小さな繋がりがそれぞれの葛藤をささやかに肯定していくのが良かった。

それぞれが見つめるままならない自分自身というアイデンティティ

男らしさに迎合しようとする主人公の苦しみに理解を示す上官も、その主人公に対する優しい態度自体がアメリカ的なる価値観への違和感そのもののようでもある。そういう彼の「他の人と違う」部分をフレンチは恋愛的に勘違いしていくのだけど、その関係が終わる終盤の会話がフレンチの囚われているセクシャリティの呪縛自体を否定するような内容になっていて、ビターだけどフレンチにとっての重要な経験として感じられるのが良かった。
また、上官以外にも本来助け合うはずの仲間同士が信じるべき正しさによって分断されるという状況を受け入れきれない白人系の若者や、自らを認められることでイデオロギーや人種の分断を乗り越えようとしているアラブ系の若者など、ステレオタイプでは測れない「個人」が国や社会の作り出す歪んだ正しさの枠に抗おうとしている。
「同じものを食べる同じ人間である」ということがコミュニケーションを取り戻す小さなきっかけになるファーストフードを巡る軽口の会話や、一方で自分が差別されるきっかけになった性欲をあからさまに発散する同期生たちを見つめる眼差しなど、「自分と他者との違いとは何なのか」ということにふと立ち止まるような瞬間が心に残る。

共に不条理と戦ったことの連帯

全員同じように厳しい訓練に耐えているからこそその中に立場の違いを生み出す差別の非合理が炙り出されるし、その場所で耐え続けているという連帯が信じていた正しさを否定する個人の良心をアップデートさせる。それだけを信じて順応しようとしてきた男たちはその場所を解体するようなシステム自体の変革はできないのだけど、個人が従うべき良心が自然にシステムの作り出す価値観を越えていくことで多様性の可能性が示される。
厳しい訓練が不条理との戦いそのものだからこそ、実は同じ苦しみ、同じ内省を見ていた者同士それを乗り越えた経験が戦友としての繋がりになっているように感じる。訓練に耐えることが単に肉体的な強さだけを意味しているわけではないことを全員が心でわかっているように感じられる描き方が良かった。
ラストにフレンチが自分を抑圧する母親との関係を諦めきれないことはもしかしたらこの先もアンビバレンスな苦しみが続いていく可能性にもなりうるかもしれないけれど、社会の作る価値観の枠組みは個人の良心で更新することができるかもしれないという希望の入り口に立っているフレンチが、その内側に留まり続ける母親に手を差し伸べることは彼が抱いた救いと矛盾しないと思うし、なんならとてもリベラルな着地かもしれない。

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