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2023年映画感想No.11:いつかの君にもわかること(原題『Nowhere Special』)※ネタバレあり

冒頭だけで映画の文法を信用させる丁寧な構成の妙

coco試写会にて鑑賞。キノフィルムズ試写室。
『おみおくりの作法』のウベルト・パゾリーニ監督新作。『おみおくりの作法』は未見なのだけど去年劇場で散々予告編を見た『アイ・アム まきもと』が『おみおくりの作法』のリメイクだということをこのタイミングで初めて知って結構びっくりした。これから観る映画があんな感じのトーンだったらどうしようかと思った。

窓の清掃員をしているシングルファーザーのジョンが幼い一人息子マイケルの養子縁組先を探しているという状況が少しずつ見えてくる冒頭の構成がさりげなくも丁寧でグッと引き込まれる。経済状況や家庭環境など何かしらの事由で親子関係が揺るがされるのだろうと思って観るのだけど、その状況が明らかになるまでに小さなミスリードを積み重ねるような構成が観客の能動的な読み解きを上手く引き出しているように思う。
経済的に苦しく子供と過ごす時間の取れないジョンが養子縁組先の面接としていろいろな家族をマイケルと共に訪ねるのだけど、マイケルの眼差しからはジョンをこそ親として必要としていることが伝わってくるのが切ない。ジョンは毎回それとなく訪ねた家庭についての好意的な意見をマイケルから引き出そうとするのだけど、マイケルがことごとく望んでいるのとは逆の答えを返すのが子供なりに敏感に自分のアイデンティティの不安を感じているように映る。

主人公の設定を活かした象徴的演出

ジョンが窓の清掃員ということもあり冒頭から窓を象徴的に映し出す。
窓の中には様々な人間模様がある。老若男女がいて、多様な人生が窓を通じて垣間見える。ジョンは清掃員として外側からそれを眺める立場であり、彼にとっては窓の向こうにあるのは「様々な理想の家庭」であるように映る。
ガラス越しの人々と窓の外にいるジョンとは様々な意味で立場の違いがありそれが窓という隔たりによって象徴的に感じられるのだけど、その人たちのために窓を綺麗にするジョンの視点から初めて窓の内側にカメラが移行して登場する最初の人物がマイケルであり、窓を綺麗にするというジョンの仕事が「窓の外を眺めるマイケルに綺麗な世界を見せてあげたい」という彼の父親的役割としても象徴的設定になっているのが上手い。

養子縁組先の候補となる人々の描き方

養子縁組候補の人々については何が決定的な正解かわからないジョンの感覚同様に観客にとっても絶対的な優劣や良し悪しが明確にはされない描かれ方になっていると思う。(ただし最後の夫婦を除いて)
エリートで経済的に余裕がある夫婦、養子の娘を育てているが主人公とは全く違う夫婦像の家庭、兄妹の多い大家族とそれぞれに異なるポイントながらジョンと過ごす今の生活とは大きな違いがあり、結局はマイケルに小さくない変化を強いなければいけなくなることが気がかりのポイントとして描かれているように映る。
その中で環境的にはある意味完璧ではない独り身の女性とも面談をするのだけど、彼女がマイケルを迎え入れようとする人たちの中で最も好意的に映るのは彼女がジョンと同じく切実に子供と生きたいと思っている人物だからこそのように感じられる。
そこまでコツコツと様々な人たちとの面会を積み重ねてきた構成によって彼女の存在感がより際立っているし、その後にくる経済的に裕福だけれどはっきりと人間的に問題のある夫婦が「子供に親が与えるもの」において何が大切かをよりはっきりと浮かび上がらせるのも効果的な作劇になっている。
あるはずのない理想を探した先に人生の完璧じゃなさを肯定するような選択が描かれるのが素晴らしかった。

父親を見つめるマイケルの眼差し

ジョンは父親として自分がマイケルに与えられるものが少ないことに苦悩しているのだけど、ジョンの清掃員としての仕事を見ながらマイケルがトラックのオモチャを洗車するようにジョンの思い描いた形ではないかもしれないけれどマイケルはちゃんと父親の姿から何かを学んでいるように映る。死の概念に触れたり、色んな人と会ったり、自分の置かれた状況を理解しようと努めている。大人たちの事情を子供なりに汲み取り、その中で彼なりに自分の人生の秩序を失わないように戦っているのだと思う。
ジョンが自分の仕事に敬意を払わない雇い主に対して「どうせ死ぬんだ」と開き直って小さな仕返しをするところが人間臭くて良いのだけど、マイケルが蓄積したストレスや不満を爆発させるパジャマをめぐるやりとりの場面で叱っていたジョンが「まあ好きにさせてやればいいか」と開き直って許してあげるところに同じ種類の「小さいこと気にするのやめよう」という精神性をじんわり響かせるような伏線的構成が感じられる。

終盤に向けて積み重なる色の演出

ジョンとマイケルの過ごせる時間が残りわずかなこともあり、全ての場面が切実にかけがえないものとして映る。どのシーンもジョンにとってマイケルと過ごせる最後の時間なのだと思うと全てが切ない。そうやって結末に向かって行く日常の中で募るマイケルへの愛情を「赤」という象徴的なカラリングによって画面に顕在化させる演出も丁寧で良かった。
誕生日のろうそく、手紙の封筒、飛んでいく風船、ラストに訪ねる家とちゃんと赤がマイケルにとってのジョンの存在を象徴するものとして使われている。自分が死ぬことを伝える会話でマイケルがジョンを風船に例えたり、死んだ後開ける箱にろうそくを入れたり象徴性に留まらず直接的な表現でも赤を通じてマイケルとの繋がりが描かれてもいる。
そう思うと最後に養子縁組先を訪ねる父子二人が押しボタン式の横断歩道で立ち止まる場面で映る赤く点灯する「WAIT」の表示は、訪れる別れを前に「いま時が止まってほしい」という二人の切実な願いを表していたのかもしれない。

小さな演出の積み重ねの先に丁寧な味わいを閉じ込めた繊細な良作だった。子供がいない僕よりも子供がいる人こそジョンの気持ちを完璧に理解できるのではと思ったりもするけれど、誰しも死が突然身近になることもあれば誰しもが子供時代というアイデンティティの形成を経て大人になっているわけで、それらはいつだって人生の普遍的な要素だからこそ誰にとっても意味を持つ作品だと思う。

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