言語_︎行動

言語に規定されている私たち


「言語が人々の思考や振る舞いを規定する」

ということを考え始めてから、3年近くになる。

元はと言うと、8歳からの友人(哲学者になりつつある)と、高校生の時よくこんな議論していたことが影響している(と言っても知識・思考力の差が激しく、一方的に学ばせてもらっていたのだが)。

この頃から、「この言葉って不思議な形式で用いられているな」「みんなが当たり前のように使っている◯◯って言葉、分解すると、どういう意味で形成されているんだろう」というようなことを日常的に考えるようになった。

つい最近も、こんなことを考えていた。

これは、社会学を学ぶ人にとっては有名な、「予言の自己成就」という概念から着想を得ている。

「予言の自己成就」とは

たとえ根拠のない予言(=噂や思い込み)であっても、人々がその予言を信じて行動することによって、結果として予言通りの現実がつくられるという現象のこと。
 (コトバンクより)
例1:2国間の戦争が不可避であると信じられている場合、2国は相手の攻撃的動きに不安をいだき、軍備拡張が進められ、戦 争 という予想どおりの結果をもたらす。

例2:きっと失敗すると思い込んでしまうと、不安な受験生は勉強するよりも、くよくよして多くの時間を浪費し、試験では実際に失敗してしまう。
『"予言の自己成就"と合理性』より

つまり、発言には、それを現実のものとする力があるということ。
※逆効果を生み出したり、機能しないこともある。詳しくは上の論文へ。

とりとめのない文章になってしまったが、言いたいのは、
「無意識のうちに、言葉から行動を規定されてしまうのではなく、言葉をコントロールして、自分の行動を理想に近づけていこう」ということ。

自分の頭の中に浮かぶ言葉やメールの文面、仲間への声かけなど、色んなところを、よりポジティブに変えていきたいな、変えていけるなと思う。

言語は、人類にとって必要不可欠なコミュニケーションツールである。
だからこそ、それをどのように機能させたいかについては、ずっと考え続けたい。

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