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ともに眠る、起きる

「眠くて寝そうなときに起こされるとつらい」

わたしは彼に思いやりを込めながらそう伝えた。ここ数日、彼は遅くまで起きていて、先にまぶたが重くなるわたしがまどろんでいると声をかけて起こしてくる。

聞いてほしい話があるのだろう、と眠気と闘いながら返事をするが、どうにもつらい。眠気に抗うのもつらいし、彼の話を満足に聞けてあげられないのもつらい。しんどくて、今朝はついにそれを伝えた。

もちろん、音楽をかけて、彼が朝のスマホタイムを終えてわたしを抱き寄せてきたタイミングで、「昨日の夜は話を聞いてあげられなかでごめんね」と伝えたうえで、お互い笑い合いながら。笑い合っていれば、つらかった持ちもどこかへいってしまう。

彼は、わたしと一緒に寝たがる。わたしが先に寝ると眠れなくなるそうだ。一度なんかは「先に寝てていいよ、でも俺が寝るときに起こすね、一緒に寝たいから」と言われたこともある。彼のことが大好きなわたしは喜び、子どもみたいでかわいいやつ、とよけいに好きになった。でも、ここ最近は眠気が強くて、寝ようとしているところを起こされるのが非常につらい。

付き合い始めた頃、「眠れないときはわたしを起こしてもいいよ」と言った。いまもその気持ちは変わっていないし、眠れないと苦しむ彼をかわいそうに思うし、彼が安心して眠れるようにしてやりたい。ただつらいのもどうにかしたい。

そういえば、とふと思った。
以前、眠ることは死ぬことと似ている、と考えたことがある。眠るのも死ぬのも自分の意志でできることではなく、自分の状態だ。身体がそういう状態に向かうことで到れるもので、「寝よう、死のう」という意思ですぐさまその状態になることはできない。

眠れないことに苦しむのも、死ねないことに悲しむのも似ている気がした。

寝ることは1日を過ごした自分を終えて、明日の新しい自分に生まれ変わることだと思う。幼い頃は眠るのが怖かった。寝てもう目を開けることがなかったら、と空想したのは子どものわたしだけではないのではないか。

そんな子どもの不安をよそに、朝は必ずやってきたし、目覚めは必ずやってきた。寝たら起きる。毎日の繰り返しによって、眠ることは死ぬことと遠く離れていった。

でも、眠ることと死ぬことはやっぱりどこか近い、と最近になって思う。それを説明する言葉が見つからないのが問題だけど。

眠ればそのうち目が覚める。死ぬこともきっとそうなんじゃないか、と思うこともある。

わたしと彼は、朝起きると「おはよう」と抱きしめ合う。そうやって1日の始まりを喜ぶ。先に目が覚めたときも、相手が目を覚ましたときに必ず駆け寄って「おはよう」をする。

彼はよく「もっと早くに目が覚めたんだけど、あなたが寝ていたから一緒に寝てしまった」と言う。ふたりで起きたいらしい。もともと一匹狼だった彼のことを知っている身からすると、不思議で可笑しい気持ちになる。「やっぱり先に起きればよかったなあ」といつも言うのに、いつもわたしが起きるのを待っている。非効率だし、時間がもったいない。「先に起きなよ」とわたしは言ってやる。

今朝、「眠いときに起こされるのがつらい」と話したあと、彼はまた寝入ってしまった。もう昼過ぎだというのに。よく眠れなかったのかもしれない。

なんとなく彼の横でごろごろしながら「あ、この気持ち」と思い当たった。わたしもつい、彼が起きるのを待っている。一緒に起きて、新しい日を生まれ変わって過ごしたい。

やれやれと思いながら、彼のまだ目覚めには遠そうな寝顔を見やった。また短い1日になりそうだな、と思いながら「そんな一生もいいか」とカーテンを開けるのはやめておいた。

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