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🌎和歌は、日本人の魂を表す~まほろば講座第2回レポ《その2》~

先日の「まほろば」講座2回目、午後は白駒先生の「和歌」の講義でした。
 
 
和歌って、せいぜい百人一首にある歌をいくつか知っているくらいで、それも高校の古典で文法を必死で解釈しながら意味を拾おうとしていた感じです。
 


ですが、この講義で、私の和歌の捉え方がガラリと変わりました。
 
 

「『歌道』は敷島(日本)の道」として、日本が100%“オリジナル”
で培ってきたもの。

 
 
そして、大和民族は「言挙げせず」を良しとして、おいそれとは自分の心の内を口にしなかったのを、

唯一、和歌にだけはダイレクトに、素直に思いをのせて詠んでいた。
 


まずはそんな話を白駒先生がしてくださいました。
 


 
日本人が古から“融合”を得意として、中国や朝鮮から仏教、文字、その他文化、芸術などを取り入れ、ときに日本流に変えて使い、広げてきましたが、

和歌の、31文字で想い、世界観を読むというのは、日本独自のものだそうです。
 
 
例えば万葉集の歌を見ると、本当に大らかに恋愛の気持ちを詠ったものも多いですが、歌に対しては何の隠し事もなく、それを聞いた方もただ歌の美しさを愛で、感じていたんだろうな、と思います。
 

というのも、私は白駒先生がおっしゃっていた
 

「万葉集は、天皇の御製から乞食の歌まで、広く載せられている」

という言葉に私はすごく惹かれたんです。
 

 
“乞食”が詠んだであろう歌は、本人が書き残したものはなく(読み書きはできなかったので)、読み人知らずとして口伝えで残ってきたものだと思います。
 

ですが、どんな低層の人でも、「歌を詠む」感性と知性を持っていたことをまず素晴らしいと思いますし、

どんな人が詠んだ歌であろうと、素晴らしいものならば分け隔てなく受け入れ、評価し、残してきた、という受容力の高さもすごいと思います。
 
 

それは身分的なことだけではありません。
 


例えば万葉集には、今でいう不倫関係⁉のような状況を詠んだものもありますが、
 


世間体や道徳的にどうよ!? と現代なら言ってしまいそうな歌も、歌のクオリティが素晴らしければ受け入れてしまうという、大らかさ、寛大さに心打たれます。
 
 
たぶん、古の日本人は身分の違いや性別の違いなどに優劣をつけず、ただ今の心、今の状況を受けいれるのが、自然にできていたのではないかと思います。
 

 
本当にね、どんな時代でも歌のクオリティだけを受けいれる、その裏にどんな状況があろうと、その歌の質とその作者の知性、才能を尊敬し守る、そのためには戦さえも止めてしまう、という姿勢が日本人にはあったんだな、というのが、今回の講座で心に沁みました。
 


和歌の神髄、そこに根付く日本人の精神性を、もっと鑑賞してみたいと思います。
 
 


そして、こんな「やまとのこころ」を、言霊と合わせて私ももっと伝えていけたらと思います。
 
そんなスタイルが良いか、どんな場がつくれるか、アイデアを練っていきますね😉
 

よかったらあなたも「日本人として、こんなことを学びたい、こんな学びの場があるといいな~💗」というのを、教えてください



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