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太宰治、文学の糞から生れたような男

 太宰治には書くことを巡る自己戯画化のような作品が複数ある。例えば『猿面冠者』はこう始まる。

 どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜いてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜の男がいた。ここに露西亜の詩人の言葉がある。「そもさん何者。されば、わずかにまねごと師。気にするがものもない幽霊か。ハロルドのマント羽織った莫斯科ッ子。他人の癖の飜案か。はやり言葉の辞書なのか。いやさて、もじり言葉の詩とでもいったところじゃないかよ」いずれそんなところかも知れぬ。この男は、自分では、すこし詩やら小説やらを読みすぎたと思って悔いている。この男は、思案するときにでも言葉をえらんで考えるのだそうである。心のなかで自分のことを、彼、と呼んでいる。酒に酔いしれて、ほとんど我をうしなっているように見えるときでも、もし誰かに殴られたなら、落ちついて呟く。「あなた、後悔しないように」ムイシュキン公爵の言葉である。恋を失ったときには、どう言うであろう。そのときには、口に出しては言わぬ。胸のなかを駈けめぐる言葉。「だまって居れば名を呼ぶし、近寄って行けば逃げ去るのだ」これはメリメのつつましい述懐ではなかったか。夜、寝床にもぐってから眠るまで、彼は、まだ書かぬ彼の傑作の妄想にさいなまれる。そのときには、ひくくこう叫ぶ。「放してくれ!」これはこれ、芸術家のコンフィテオール。それでは、ひとりで何もせずにぼんやりしているときには、どうであろう。口をついて出るというのである、“Nevermore”という独白が。(太宰治『猿面冠者』)

 この後に続くのが「文学の糞から生れたような男」という強烈なフレーズである。「神様の顔へ豚の 睾丸 ( きんたま ) をつけたような 奴」(夏目漱石『虞美人草』)「五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思ってる。」(夏目漱石『草枕』)……こうした強烈なフレーズが文学の肝であることは疑い得ない。いささか私小説的な自己言及な芸術家のコンフィテオールの形式を取ながらも、所々で「文学の糞から生れたような男」という強烈なフレーズが挟み込まれることによって、太宰作品は「読んで面白いもの」になっていると私は考えている。

 例えば「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。」(太宰治『川端康成へ』)と書かれているのを読んで、太宰の本気の怒りを感じて居心地が悪くなってしまうのは「間違い」なのではなかろうか。「小鳥を飼い、舞踏を見る」は川端康成の『禽獣』という些か真面ではない小説を論うという意匠である。そしてこの指摘は実に適切なのだ。あてずっぽうの怒りではない。

「悔恨の無い文学は、屁へのかっぱです。」(太宰治『鴎
――ひそひそ聞える。なんだか聞える。』)

「六唱 ワンと言えなら、ワンと言います」(太宰治『二十世紀旗手
――(生れて、すみません。)』)

天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。古いどころか詐欺だった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。」(太宰治『十五年間』)

 こうした太宰の言語感覚が、最も尖った形で噴き出したのが件の「刺す。」ではなかろうか。


「暗夜行路」
 大袈裟な題をつけたものだ。彼は、よくひとの作品を、ハッタリだの何だのと言っているようだが、自分のハッタリを知るがよい。その作品が、殆んどハッタリである。詰将棋とはそれを言うのである。いったい、この作品の何処に暗夜があるのか。ただ、自己肯定のすさまじさだけである。
 何処がうまいのだろう。ただ自惚れているだけではないか。風邪をひいたり、中耳炎を起したり、それが暗夜か。実に不可解であった。まるでこれは、れいの綴方教室、少年文学では無かろうか。それがいつのまにやら、ひさしを借りて、母屋に、無学のくせにてれもせず、でんとおさまってけろりとしている。(太宰治『如是我聞』)

 罵倒名人太宰の罵倒は面白い。面白くなくては名人ではない。太宰の名人たる所以は『如是我聞』ここに表れている。


(まったくそうだよ。太宰、大いにやれ。あの教授たちは、どだい生意気だよ。まだ手ぬるいくらいだ。おれもかねがね、癪にさわっていたのだ。)
 背後でそんな声がする。私は、くるりと振向いてその男に答える。
「なにを言ってやがる。おまえよりは、それは、何としたって、あの先生たちは、すぐれているよ。おまえたちは、どだい『できない』じゃないか。『できない』やつは、これは論外。でも、のぞみとあらば、来月あたり、君たちに向って何か言ってあげてもかまわないが、君たちは、キタナクテね。なにせ、まったくの無学なんだから、『文学』でない部分に於いてひとつ撃つ。例えば、剣道の試合のとき、撃つところは、お面、お胴、お小手、ときまっている筈なのに、おまえたちは、試合も生活も一緒くたにして、道具はずれの二の腕や向う脛を、力一杯にひっぱたく。それで勝ったと思っているのだから、キタナクテね。」(太宰治『如是我聞』)

 ただ感情に任せた愚痴ではない。くるりと振向いて立体を拵えている。拵えるだけではない。その罵倒は徹底して苛烈で的を射ていなくてはならない。

 またある座談会で(おまえはまた、どうして僕をそんなに気にするのかね。みっともない。)太宰君の「斜陽」なんていうのも読んだけど、閉口したな。なんて言っているようだが、「閉口したな」などという卑屈な言葉遣いには、こっちのほうであきれた。
 どうもあれには閉口、まいったよ、そういう言い方は、ヒステリックで無学な、そうして意味なく昂ぶっている道楽者の言う口調である。ある座談会の速記を読んだら、その頭の悪い作家が、私のことを、もう少し真面目にやったらよかろうという気がするね、と言っていたが、唖然とした。おまえこそ、もう少しどうにかならぬものか。
 さらにその座談会に於て、貴族の娘が山出しの女中のような言葉を使う、とあったけれども、おまえの「うさぎ」には、「お父さまは、うさぎなどお殺せなさいますの?」とかいう言葉があった筈で、まことに奇異なる思いをしたことがある。「お殺せ」いい言葉だねえ。恥しくないか。
 おまえはいったい、貴族だと思っているのか。ブルジョアでさえないじゃないか。おまえの弟に対して、おまえがどんな態度をとったか、よかれあしかれ、てんで書けないじゃないか。家内中が、流行性感冒にかかったことなど一大事の如く書いて、それが作家の本道だと信じて疑わないおまえの馬面がみっともない。(太宰治『如是我聞』)

 ここまで書けて名人である。お判りだろうか。太宰が笑わせようとしていることを。太宰は「閉口したな」を卑屈な言葉としながら自分は「唖然とした」のである。これは交換可能な態度ではなかろうか。「おまえの弟に対して、おまえがどんな態度をとったか、よかれあしかれ、てんで書けないじゃないか。」とあるのは「おまえたちは、試合も生活も一緒くたにして、道具はずれの二の腕や向う脛を、力一杯にひっぱたく。それで勝ったと思っているのだから、キタナクテね。」式の攻撃ではなかろうか。

 しかし私は自分自身の無学の立場を忘れ太宰治という作家を喝采せざるを得ない。

 私はいまもって滑稽でたまらぬのは、あの「シンガポール陥落」の筆者が、(遠慮はよそうね。おまえは一億一心は期せずして実現した。今の日本には親英米などという思想はあり得ない。吾々の気持は明るく、非常に落ちついて来た。などと言っていたね。)戦後には、まことに突如として、内村鑑三先生などという名前が飛び出し、ある雑誌のインターヴューに、自分が今日まで軍国主義にもならず、節操を保ち得たのは、ひとえに、恩師内村鑑三の教訓によるなどと言っているようで、インターヴューは、当てにならないものだけれど、話半分としても、そのおっちょこちょいは笑うに堪える。(太宰治『如是我聞』)

 このぐいぐい来る感じ、まさに「試合も生活も一緒くたにして、道具はずれの二の腕や向う脛を、力一杯にひっぱたく。」感じが面白い。

 自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。(太宰治『人間失格』)

 太宰は川端康成を言葉で刺した。志賀直哉も刺した。刺されたままで、殺されはしないから川端は閉口し、志賀直哉は太宰などお殺せなさらなかったのである。





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