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人生とは終わりのない修行である。

ちゃんとする
言葉にすることはとても簡単だが
継続して実行するとなると、なんとも難しい。

ちゃんとするという言葉には
堂々とする、立派である、まともである
などの意味合いが含まれる。

はたしてこの言葉を本来の意味で実行し、行動出来る人物がこの国にどれだけ居るのだろう。
私も含め、大多数の人間は些細なことに満足し、そこで立ち止まるのではないだろうか。

今回の記事は、"ちゃんとする"とは何か
音楽家視点を交えて書く。

ここから何か一つでも良い。
自分に足りない何かを感じて欲しい。

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前提

何かを成すには、膨大な時間が必要である。
そして、この事実を現代人の多くが忘れていると私は感じる。

世の中には
楽に稼げる副業◯選!
これであなたも一発逆転!
など、簡単に何かを成し得ると書かれている記事が溢れている。
こういった記事に何人が疑問を持ち、何人が騙されただろう。

結論を述べよう。
楽に何かを成せるのは強運の持ち主のみであり
私たち凡人には、強運など無いのだ。

先人を知る

英語を喋りたいのであれば、誰しもが単語から覚える。
音楽でも同様にフレーズを英単語とし、フレーズの組み合わせが文法となる。

音楽の文法には言語同様ルールが存在し、それなくして音楽とはなり得ない。
つまり、知らないで実践(演奏)しても出鱈目なのだ。

楽器を演奏出来、譜面の読める者の多くは、残念ながら自分の楽器パートのみに着目する傾向がある。
私の場合、惹かれたフレーズを見つけると、まずは全パート書き出す。

ここで例え話をしよう。

企業とは、役職持ちのみで仕事をした場合
はたして成り立つのだろうか?

答えは否。

役職関係なく皆何かしらの役割を持ち、仕事をしている。
そして、それらを俯瞰して見た時
一つの企業
として扱われる。

音楽にも、これと同じことが言える。
部分的に抜粋しただけでは、理解したことにはならない。
英和辞典を1ページ暗記したところで、英語をマスター出来たと思い込むことに近い。

また、やり続けていると共通点の発見や
部分的に違う部分が数多く見られる。

その違いを自分で調べようと思えた時
"台本を読んでいただけの状態"から
役者の感情表現方法を学べるのだ。

憧れの人物視点

ジャズだけではなく、クラシックやロック
ジャンルは何でも良い。

音楽を志す者、愛する者には
憧れの奏者、作曲家、編曲家
誰か一人くらいはいるだろう

私たちの憧れの人物とは、私たちにとってもちろん凄い人物だ。
あるいは、世界的な偉人の場合ももちろんある。

私たちが憧れたよう、その偉人本人が憧れた
それはもう凄い偉人が居る。

これは、その偉人が偉人と評価される過程に
偉人本人が憧れた人物を徹底的に分析し、学んだ歴史があるということだ。

私たちは、偉人を模倣するところから学び始まり
偉人視点で物事を見る事ができた時、ようやくそこで憧れの人物の背中が見え始めると私は思う。

温故知新

前段落までのことを継続的に学び続け、ようやく偉人たちの背中が少し見える。
この点はどんな分野でも変わらないだろう。

音楽を題材に置いているので、例え話を音楽にしよう。

コード進行という言葉に聞き覚えはあるだろう。
コードとは、日本語にすると暗号という意味合いだ。

つまり、私たち音楽家は知らず知らずのうちに暗号解読班になっている。

では、そのコードという発想や概念はどこから来たのだろうか?

複数の音が同時に鳴り、その部分のみを分かりやすく表した物がコードとなる。
複数人がそのコード鳴らし、次は違うコード鳴らす。
この繰り返しが私たちのイメージする音楽である。

そして、必ず気付く時が来る。
今鳴っている音に対し、次に鳴らすであろう音があり得ない飛躍をする時がある。

想像して見て欲しい。

この部分だけ2オクターブ上げて歌ってください
と譜面に指示書きがあったとしたらどう思うだろう。

私ならキレる

こんな破天荒な現象が起こらないよう、昔の偉人たちはルール作った。
これが現在の音楽理論だ。

もしも音楽を志す者が
「理論なんて関係ねぇよ、センスの問題だろ」
などと言い始めたらどうだろう。

そんな者たちに私は問いたい。

ルールを知らないボードゲームで勝てるのか?

先人たちの努力があり、今がある

唐突だが、私たちにとって生きることは当たり前のことなのだろうか?
もし当たり前だと思っているのであれば、考えを改めたほうが良い。
先人たちが血を流し、その結果今私たちが存在している。
これは紛れもない事実だ。

そしてこれは、どんな分野においても同じことが言えるのではないだろうか?

偉人たちが血のにじむような努力をし、今がある。

「カッコ良く弾きたい!書きたい!」
と思うことは、良いことなのだろうか。

もちろん上達の為、自身の意識の中にこれらがあるのは素晴らしいことだ。
しかし、先人たちの積み上げて来たことを知ろうとせずに何かを作る行為は私の価値観、一クリエイター視点において正直なところ
"ありえない"と思ってしまう。

まとめ

冒頭や前提の段落にも書いたことだが
"ちゃんとする"というところにたどり着くためには、膨大な時間がかかる。

それっぽい感じ!
なんてものは存在しない。

また例え話を出すが、料理人は何年修行しているだろうか?

一流と呼ばれている人たちは少なくても10年
更に、生きてる限り永遠と修行が続く。

そんだけやっていても、まだ自分には足りない
心からこう思っているのがこの人たちだ。

私もまだまだ未熟だが、彼らと同様
自分自身に満足することはないだろう。

これで良いか
そう思った瞬間、怠惰な人間になってしまう。

ちゃんとする
言葉にすることはとても簡単だが
継続して実行するとなると、なんとも難しい。

何の道のどんな勉強でも良い
もしこの記事を読んでいる画面の前のあなたが
"ちゃんとしたい"のであれば、これだけは覚えて欲しい
どんな道も、終わりのない修行である


さて、そんな感じで今回の記事はここまで!
最後までお読みくださりありがとうございました🥳

しかし、この記事は必要なことの1%もきっと書いていないのでしょう。
残りは自分自信の学びの中から見つけてください。
人それぞれ答えは違うからこそ、それを見つけるのもまた学びなのだと私は考えます。

お互い頑張り続けましょう!


今後も記事の更新を頑張りますので、スキ・コメント・フォローなどいただけますと嬉しい限りです。


小林 結 / Yui Kobayashi
ピアノ奏者・作編曲・指導

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