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終戦と聞いて「自決しなければ」と思った人たち

この時期になると戦争の時の話が多く飛び交う。
私は体験することができなかったが、小さい頃からたくさんのエピソードを聞いていた。

その中でも最近目にしたのが「終戦と聞いて自決した」人たちの話。
今では終戦と言えば「やっと戦争が終わり、平和が訪れる良い言葉」のイメージがついているが、当時はそうじゃなかった。
他国との勝負に勝つか負けるか、というところで「日本は負け」というお知らせだったのだ。

今は戦争に注力する人は非難されがちで、「なぜ日本を愛しているなら戦うんだ」と言われるだろうが、当時は全く違う。
日本を愛している人こそ戦争に参加し、日本を勝たせるために命を賭けて注力していたのだ。
選挙に行かない人のように、まさか自分1人で戦争を止めて世界平和にしようなんて、実行できる人はいない。
さらに、「戦争がなくてよかった」と言えるのは終戦した後に日本が本当に平和になれたからだ。
終戦して条約を結んでも、日本を襲ってくる国はいたかもしれない。
終戦に後悔するような未来もあったかもしれない。

そう考えている中、「終戦と聞いて自決した」人たちの話を見て考え込んでしまった。
自国を愛していて、一生懸命勝利に向けて注力してきたのに、負けてしまった。
終戦のお知らせを聞いた兵たちは、そのまま飛行機ごと海に飛び込んだのだ。

子供たちも「戦争に負けた日本に未来はない」と思い込み、自決しに刃物を持って山に走り出す。
その話を読んでいる最中、自分も焼け野原の日本を見ているかのようだった。

そんな日本にいたのは小学生の私の祖母と祖父だった。
2人はそんな終戦を経験していながらも、自決する勇気がなかった。
当時のことを聞くと、「小学生だったので訳が分からなかった」「ぼーっと生きていた」と言っていたが、そのおかげで今私はここにいるのだ。
祖父は3年前に他界してしまったので話は聞けなかったが、次は戦争をしておらず食べ物に困らない日本で優雅に暮らしてほしい。

さまざまなストーリーから死や生について考えることになるが、やはり途中で死んでしまうとストーリーの続きが読めなくなってしまう。
どれだけ生が大切か、平和となった今でも思い知らされる過去の書物。
いくら周りが忘れようとも、誰かがまた手に取ってくれるのを願ってこうして残しておきたいと思った日でもあった。


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