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月岡芳年 月百姿 〈前期〉:1 /太田記念美術館

 最晩年の月岡芳年(1839〜92)による傑作シリーズ「月百姿(つきひゃくし)」を取り上げた本展。全100点が、前後期に分けて公開されている。その前期展示のリポートである。

 各図は歴史上の逸話、物語の一場面など、古今東西の「月」「夜」にまつわるエピソードに取材している。
 《月宮迎  竹とり》は、かぐや姫が月に帰る場面。

 なるほど、「月」というテーマにはぴったりで、シリーズに不可欠の1枚といえよう。
 このように、現代のわれわれにも、ひと目見ただけで「あの場面だ!」とわかりそうな絵があるいっぽう、そうもいかない画題も少なからず含まれる。
 後者のなかには、当時はよく知られ、現在は忘れ去られた画題もあるのだろうが、あえてマイナーなテーマを紛れこませ、芳年(版元)が受け手側の教養を試した側面もあったのかもしれない。
 《忍岡月  玉渕斎(ぎょくえんさい)》も、そのような例だろうか。嘉永年間に出された『畸人百人一首』所載の人物というが、ウェブにはこの絵に関しての説明くらいしか見当たらない。

 主君に諫言するも受け入れられず、浪人の身となった玉渕斎。風流心は失わず、粗末な身なりのまま、桜咲く上野のお山へ。タチの悪い花見客に「花見ってのに、ボロ着てやがる。桜吹雪を袖で払ったりして、ダッセー!(※意訳)」と煽られるも、当意即妙な和歌でやりこめる。玉渕斎の意外な教養の深さに脱帽した花見客は、恥ずかしさのあまり一目散に逃げ出すのであった……

 古典文学に材を取った作も多い。
  『源氏物語』の夕顔の君と、植物のユウガオを描く《源氏夕顔巻》。夕顔の君には、足がない……薄幸の女性の、幻想的で儚げな姿である。

  「月百姿」の各図には、どこかしらに必ず、ワンポイントで技巧的な摺りが施されている。右上の色紙形に空摺(からずり)される例が多いが、そうとは限らず、人物の着物の一部であったり、異なる技法であったりする。
 本作では、ユウガオの白い花のところが空摺されている。図版ではわかりづらいけれど、花びらのしわしわが表されているのだ。芸の細かさに驚かされた。

 このような特殊な摺りが、画面のどこに施されているかという点は、「月百姿」各図の大きな見どころといえよう。

 こちらは、歴史上の事件に取材した《花山寺の月》。花山天皇が身にまとう装束は、左の図版では黒にしかみえないが、単純な塗り潰しではない。
 観る角度や光の当て方を変えると、有職文様が浮かび上がるのだ。正面摺(しょうめんずり)と呼ばれる技法で、右の動画でそのようすがうかがえる。

 花山天皇が藤原道兼によって御所から連れ出され、退位・出家させられた「寛和の変」。月明かりのもとで山科の元慶寺へ向かうふたりを、本作は描いている。
 NHKの大河ドラマ「光る君へ」にも登場した逸話。こちらの道兼も、なかなか悪どい顔つき……

 同じく大河ドラマ関係でいうと、藤原公任を描いたものも出ていた。
 《しらじらとしらけたる夜の月かげに雪かきわけて梅の花折る 公任》。和歌・漢詩・管弦のすべてに優れた教養人・公任の若き日のエピソードである。

 大河ドラマでは売れない漫画家イエナガ……じゃなくて町田啓太が演じる公任。
 父に言われるがまま道兼に肩入れするなど、いまのところ、仕事ができそうな雰囲気を出しつつまったくそんなことはない、パッとしないお公家さんぶりをみせているが、歴史をたどると、公任が歌人として名を挙げるのはたしかに、もう少しだけ先の話のようだ。
 本作に描かれるのは若き日の姿ではあるけれど、このような歌人としてのセンスにあふれる公任の姿や、公任と紫式部とのからみは、ドラマの中ではこれからもっと多くなっていくことだろう。

 すっかり大河ドラマの方向に脱線してしまったが、公任が着る装束にも、有職文様の正面摺が一面に施されている。
 公任の装束を月明かりと雪明かりが照らし、文様がかすかに浮かび上がる。たいへん、粋なものである。(つづく


日比谷公園にて


 ※先週の「光る君へ」では、改心し再起を果たした道兼(玉置玲央)がとにかくカッコよかった、カッコよすぎた。

「汚れ仕事は俺の役目だ」

なんて、一生に一度くらいは言ってみたいものである(今度、猫のトイレを掃除するときに言ってみよう)。


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