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ポコラート世界展 偶然と、必然と、:1 /アーツ千代田3331

 アール・ブリュットとは「生(き)の芸術」。
 巷間のイメージは「障害者による創作造形物」とニアリーイコールだが、かならずしもそうとはかぎらない。障害の有無にかかわらず、専門的な美術教育を受けていない人々による創作・表現行為、その結果として生まれた作品全般のことを、幅広く指し示している。

 昨夏、神田のアーツ千代田3331でアール・ブリュットの展示を観てきた。
 リーフレットの言葉をそのまま引かせてもらうと「世界22カ国から50名の作家の作品240点余が集結」するもので、この数字がなにより雄弁に物語るように、大規模・大ボリューム。
 それに、そんじょそこらの展覧会に比べて、1点あたりの鑑賞に要するこちら側のエネルギー量が半端ではない。「超・高カロリー」の展示なのだ。
 これは大変なことになるぞ……などと危惧をしておきながら、ちゃっかり東博の「聖徳太子と法隆寺」展からハシゴをして、徒歩で会場へやってきたのであった。

 同種の展示は、近年では渋谷公園通りギャラリーや東京藝術大学大学美術館でも催されていて、重複する出品作家も複数。
 けれども本展の場合は、出品数の絶対量からして大きく異なる。他国の作家や、物故して久しい作家も含まれている。おのずと、わたしにとっては大半の作例が初見となった。
 分野も素材も作風も、時に国籍も異なるつくり手たち。彼らを、制作物の特徴やつくり手の性格などから6つのテーマに分け、なんとか、全体がまとめあげられている印象だった。

 ――誠に僭越ながら、その苦心の跡を感じさせた構成の詳細を、わたしはほとんど覚えていない。
 そういった後づけの「柵」を踏み荒らして、それぞれの作者や作品が個性を主張し、前へ前へ、我先にとせり出してきたからだ。大嵐か暴れ馬かといった鑑賞体験であった。

 アール・ブリュットと称される分野に対しては、冒頭に書いた誤解がまだまだあるけれど、関係各所の尽力によって、徐々に世間がその力に気づきはじめているともいえよう。
 そんな発展途上段階にあっては、まだまだ「大嵐」「暴れ馬」の展示でよいのかもしれない。
 総花的ななかに、新規性のある実験的な要素を数本忍びこませた……そんな、可能性あふれる作家たちが妍を競う色とりどりの「見本市」であっていいし、鑑賞者はそのなかから各々、感性のおもむくままに「よい絵」「よい作家」を見つけてもらえれば万々歳。主催側としては少なくとも、その契機で充分なのであろう。

 全体をならして「一概に」述べることじたいが、本展に関してはナンセンスの極みかと思われた。
 そのため、わたしとしてもやはり、『感性のおもむくままに「よい絵」「よい作家」を見つけ』ることに終始させてもらったのであった。
 備忘録も兼ねて、出品作家さんや作品を何人か紹介していくとしたい。(つづく



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