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生誕120年 猪熊弦一郎展:7 /横須賀美術館

承前

 いのくまさんの愛した動物といえば、猪でも熊でもなく、猫。
 鳥や馬も主要なモチーフだけれど、いのくまさんはやっぱり猫が好き。多いときで1ダース=12匹もの猫と生活したといい、猫のモチーフが登場する作品は数多い。
 歌川国芳、藤田嗣治、熊谷守一、朝倉文夫……猫好きとして知られるアーティストたちはみな、猫と暮らすなかで猫の生態や行動・身体を観察し、制作に活かした。
 いのくまさんもまた同様だが、いのくまさんの猫の描写は写実から距離をおくもので、猫の姿はやけにカクカクしていたり、丸すぎたりする。もふもふの毛並みの表現などといったリアリズムの方向性は見出しがたい。
 このような点は熊谷守一に近いようで、おそらくそうでもない。モリカズさんの場合は塗りつぶしの箇所でもひと筆ひと筆、丹念に筆を乗せていて、むしろかなり意識的に毛並みを再現しているように思えるのだ。

 ※リンク先のような「モリカズ猫」をイメージ

 それでも、いのくまさんの描く単純化された猫に、ちゃんと猫だとわかる……どころか「あるある!」と膝を打ってしまう説得力があるのは、削ぎ落とされて残った線やかたちの要素、それにポージングの選択が、あまりに猫そのものだからであろう。「こんな格好、たしかにするなぁ」と、会場をまわりながら慨嘆してしまったのであった。
 筆者が猫との暮らしをはじめて、もうすぐ丸2か月。じっさいに寝食を共にしてみると、その「あるある!」という感覚が、よりつぶさに感じられるようになった。絵の見方が、少しだけ変わったのだ。

 横須賀美術館の館蔵品《三人の娘》では、イームズのチェアに猫を座らせている。後方には、女性に抱きかかえられた子もいる。

 この図にかぎらず、いのくまさんの人物像は比較的表情に乏しく、ちょっぴり怖いと感じる向きもあろう。猫の顔つきとて同じである。
 逆にいえば、「無」の表情だからこそ、いかようにも解釈の余地があるのかなとも思う。
 本作に関していえば、3人の人物は、微笑を浮かべているようにみえる。他の絵に比べれば、まだわかりやすい笑みの表情、あたたかな眼差しをたたえているではないか。

 2匹の猫は、カメラ目線でこちらを直視している。
 うちの子もそうなのだが、飼い主の行動をじっと観察しつづけるのが猫の習性らしい。最初は警戒の目線であったものが、徐々に興味の対象を目で追うことに切り替わっていったのを、2か月弱前のわたしは肌身で感じていたのであった。
 なにか彼にとって魅かれるものがあれば、もしくは飼い主に隙あらば、すぐにねぐらを飛び出してくる(それ以外は、寝ている)。
 3人の女性と2匹の猫の目線からは、モデルと作者との固い絆・信頼関係が読み取れる。ほっこりする絵だ。

 なお、このイームズチェアは現存している。
 イサム・ノグチからいのくまさんと剣持勇宛てにそれぞれプレゼントされたもので、日本でもかなり最初期に輸入されたイームズチェアとのこと。
 通常のチェアとロッキングチェアの2種類の現物が、会場に並んでいた。本作では椅子の脚先が見切れているので、そのどちらが描かれているのかは判然としない。
 わたしとしては、これはロッキングチェアのほうで、少女が手で椅子を前後に揺らしてあげて、猫をあやしているのかなと思う。
 そんなことをしたら猫は怖がりそうだな、少なくともうちの子は嫌がるなぁとも、思わなくはない……(つづく

うちの子。名前は「さとる」。寄っかかるのは、毛布にくるまったわたしの身体


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