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お地蔵さんのお着替え式:2 /奈良・伝香寺

承前

 開門が15時45分ならば、少し余裕をもって着くように。まだ待機列が形成されていなければ、遠まきに待つ——それくらいの見通しで30分に到着すると、すでに20人ほどが並んでいた。すごいな、お地蔵さま。

 同じ敷地内の幼稚園では、夏祭りが絶賛開催中。子ども向けの歌が、耳をつんざく爆音で流されていた。
 わたしが若かりし頃に聞いていた曲とほぼ同じで、スタンダードというのは案外変わらないものだなぁと思った。懐かしソングを聴きながら、開門を待つ。

 時間になり、受付を済ませて境内へ。他のお社やお堂、石塔なども気にはなるけれど、ひとまず会場の本堂まで、まっすぐ。その時点で、畳の上は鮨詰めの満員御礼となっていた。
 戸がはずされ、3方向が開け放たれた外側、広縁(ひろえん)の一角に陣取ることにした。

混み具合は、まだまだ序の口
堂内や法要のもようは、撮影自由だった。端正で、少年らしいお地蔵さまである

 お地蔵さんの奥に鎮座するのが、ご本尊の《釈迦如来坐像》(天正13年〈1585〉 奈良市指定文化財)。お地蔵さんの印象が強い伝香寺、ご本尊はあくまでこちらである。
 伝香寺は、戦国武将・筒井順慶の菩提を弔うために、そのご母堂によって建立された。重文の本堂とご本尊は、いずれも創建当時のものだ。
 かたやお地蔵さんは、他のお寺から流れ流れてやってきた、いわゆる「客仏」でもあるのだが、このときばかりは隣の地蔵堂から移されて、本堂でご本尊の前に立つ。

 ——大音量の「はたらくくるま」をBGMとして、お地蔵さまの法要が執り行われた。併設の幼稚園と夏祭りのやぐらは、目と鼻の先にあるのだ。
 しばらくして夏祭りもようやく落ち着いたらしく、以降はしめやかな空気となった。脳内ではしばらく「はたらくくるま」が流れつづけたけれど……

 読経が続くなか、お着替えがはじまった。

①光背、火焔宝珠を手にした左手先、右手の錫杖をはずす
②袈裟など、衣をどんどん脱がせていく
③白衣をとると、下着(俗にいう「パンツ一丁」)の状態に
④前が見えないよう、布で目隠しをしながら下着を交換。「パンツ大作戦」を思い出した
⑤先ほどとは逆の手順で、新しい装束を着せていく。袴はさわやかな明るい色み
⑥袴と同じ色の上着に合わせる袈裟は、鮮やかな暖色系だった
⑦光背を戻し、着衣を整えて……
⑧完成。新しい供物が捧げられた。右は、御守

 お着替えが終わる頃、雨がちらついて、あっというまに土砂降りとなった。夕立かなと思われたが、いっこうにやまない。「遣らずの雨」というものであろうか。
 天候の行方を気にしつつ、御守を授与いただく順番を待った。

靴が庇の外にあったため、中までびしょびしょに
御守は、赤と紫の2種から選べる

 雨さえなければ、本堂の外観や境内のようすなどじっくり見てまわりたかったが、今日のところは、まっすぐ駅に戻ることにした。

 ここ伝香寺は「はだか地蔵尊」のほかにも、筒井家ゆかりの椿「武士椿(もののふつばき)」で知られている。

 花の色がまだ鮮烈なうちに、潔く散ってしまうさまが侍を思わせるといい、東大寺二月堂の「糊(のり)こぼし」、百毫寺の「五色椿」とともに「奈良三名椿」に数えられている。

 お地蔵さんの年2回の公開は、この地蔵盆の時期と、椿の咲く3月に設定されている。
 今度はぜひ3月に、「三名椿」を求めて、訪ねてみるとしたい。


 ※ご本尊《釈迦如来坐像》は、南都仏師・宗貞の作。宗貞は弟・宗印とともに翌天正14年から京都・方広寺の大仏造立に携わっていることから、方広寺大仏の雛形との伝承がある。


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