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版画の青春 小野忠重と版画運動:1 /町田市立国際版画美術館

 本展には、長い副題がついている。

激動の1930‐40年代を版画に刻んだ若者たち

 メインとサブのタイトルが示すとおりに、本展は小野忠重(1909~90)をボスとした「新版画集団」とその後継「造型版画協会」を扱う展示だが、以下のように言い換えたほうが通りはよさそうだ。

藤牧義夫とその周辺作家の展示

 小野は版画家であるとともに版画史の研究者・評論家で、むしろそちらのほうで名前を残した感が強い。
 それは、わたしがこの人物を本の著者として長らく認識し、実制作者としての顔に気づいたのがずっと後だったことも関係しているのだろうが、同じような人は他にもけっこういるのではと思う(展覧会名の『版画の青春』も、小野の著書名からとられている)。

 いっぽう、藤牧義夫(1911~35?)が作品によって放った光芒は強烈で、新版画集団の作家のなかでは抜きん出ている。義夫の存在によって他が霞むというよりは、もはやひとりだけ最初から土俵が違うように思われるのは、出品作を見まわして明らかなことであった。

 その他のメンバーで、のちに大きく名をなしたのは、斎藤清くらいだろうか。
 だが、初めて作者の名前を聞くようななかにも、好感がもてる絵は散見された。彼らについては回を分けてご紹介したい。


 ともかくも、非常にマニアックなテーマ設定であり、版画に特化した日本唯一の公立美術館であるこの館らしい企画だ。
 近代の創作版画をコレクションしている館としては、福島県立美術館、千葉市美術館、和歌山県立近代美術館などがある。そのなかで、新版画集団の作家たちに強いのはここ町田だけ。町田では小野忠重の旧蔵品を受贈しており、本展も、小野忠重版画館に残る作品から多数を借用して成り立っている。出品総数300点の大ボリューム。

 さて、「新版画集団」と聞いて、川瀬巴水や吉田博の瀟洒な絵を思い浮かべた方には申し訳ないかぎりであるが、新版画集団の作品は自刻自摺、ご覧のように彫刻刀の跡が生々しい、より版画然とした素人味を残す作風。分業制の巴水らとはかなり異なるが、「新しい版画」を模索したのは、なにも巴水や博のみならないのだ。
 新版画集団は「版画の大衆化」を掲げ、昭和7年(1932)に活動を開始した。首班の小野こそ、プロレタリア的な思想色をぷんぷん感じさせる作品だけども、同様の傾向をもつ作家は思いのほか見当たらない。

 他はみな、絵を媒介に思想を打ち出すというよりは、純粋に版画が楽しくてやっているような作品ばかりだ。
 一枚岩ではない。集団が長く存続しなかった理由として、こういった温度差があったらしいことが、昭和11年(1936)12月に出された《新版画集団解散挨拶状》でも示唆されていた。

 思想に傾倒したり、純粋になにかに打ち込んでみたり。どちらも「青春」らしいあり方といえよう。結成当時、小野忠重はわずか23歳、藤牧義夫は21歳であった。(つづく


美術館の真向かいにあった、細長〜い階段。昇りたくなる。美術館は、芹ケ谷という谷の底に立っている



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