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熊谷守一美術館 38周年展:2 /豊島区立熊谷守一美術館

承前

 熊谷守一は、書の作品もいい。
 落款や箱書のみならず、独立した作品としてモリカズが文字を書きはじめたのは、コレクター・木村定三からの依頼がきっかけという。
 モリカズの書に関して、木村は「文字がもつ意味そのものが具現化した姿」といった評を残している。
 漢字の決まったかたち、あるいは古典の書風を規則正しくなぞったものとモリカズの書とは、性格が大きく異なる。モリカズは、太古の象形文字に立ち返るような意気で、筆を走らせているともいえよう。
 こういった書きぶりは、3階の最後に展示されていた《ともしび》(豊島区立熊谷守一美術館)から、よく感じ取られたのであった。とめどなくゆらぐ蝋燭の火が、ここにはたしかに見える。

 ※《ともしび》は下のリンク左


 作家とコレクターの交流のなかで生まれた作品は、まだある。
 《雨滴》は、タイトルが示すとおり、水面に雨粒がしたたり落ちる絵。「はごろもフーズ」のテレビCMを思い出すが、スローカメラでやっと捕捉できるほどの一瞬を、モリカズの目は見逃さなかったのだ。

 同時に、この目線の低さ、ミクロさ、またそうして見えたものを絵のモチーフとして採用してしまう柔軟さなど、じつにこの人らしい仕事である……というあたりで納得してしまいそうなものだけれど、じつは、着想の源は自然現象の観察だけではなかった。
 木村家で拝見した《黒織部輪繋文茶碗》(桃山時代  愛知県美術館)の側面に表された文様が、《雨滴》誕生の由来となっているのだ。モリカズはこの黒織部の茶碗に《五月雨》と命銘している。

 志野、織部などの桃山茶陶に描かれる文様には、なにを造形化したのか、はっきりしないものも多い。
 この文様に関しても、「輪繋(わつなぎ)文」といえばまあそうであるし、モリカズが見立てたように「雨滴」にもみえる。矢を当てる的(まと)や、蜘蛛の巣かもしれない。
 正解はわからないけれど、この茶碗を観たモリカズの胸中には「そうか、雫が落ちるさまを絵にしたっていいんだな……」といった気づきが去来したのであろう。
 古美術の所蔵家でもある作家の支援者が、作家に過去の名品を惜しげなく見せ、新たな創作の糧としてもらう——原三溪と日本美術院の画家たちの関係性などが想起されるが、とても理想的な、作家と支援者の間柄だと思う。
 本展はそのことがうかがえる、モリカズと木村定三「ふたり」の展示となっていた。


 2階と3階は、所蔵品展。
 2階には、初期を含む油彩画が並んでいた。早春にピンクの花をつけた桃の木を描く《桃》や《尾長》に好感をもった。
 《尾長》を観て、はっとしてしまったのは、つい先日、わが家の軒先にオナガのつがいがやってきたからだ。

絵はがきを購入した
そーっと撮影

 美しい姿形・羽の色をした鳥で、ベレー帽かカツラか目出し帽か、とにかく頭部を覆う黒も愛嬌たっぷり。
 モリカズのオナガは、等身大で描かれていると思う。鳥好きで、鳥からも好かれたというモリカズ。さすがの逸品である。

 3階には、デッサンと書が出ていた。
 その多くを占めるはがきサイズ強の鉛筆デッサンは、小型のスケッチ帳を崩したものと思われる。
 かたわらに、なにを描いたものか、本人のメモが記されている。枯木、(将棋駒の)歩兵、音サ(音叉)、クサリ……この書き込みがなければ、モチーフの正体はてんでわかるまい……やはり、着眼のおもしろい人だ。

 モリカズワールドを最後まで堪能し、館を辞した。


大きな山椒の葉


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