高野光正コレクション 発見された日本の風景:1 /日本橋高島屋
明治時代の横浜では「横浜写真」と呼ばれるモノクロ・手彩色の写真がつくられ、外国人向けに販売されていた。
富士山や日光など定番の観光地に港町・横浜などの風景、市井の人びとの暮らしぶり・はたらきぶり、それに着物をまとった美人が、主な被写体。
横浜写真はおみやげとして好まれ、広く流布し、日本のステレオタイプなイメージ形成に一役買った。
本展で紹介される「高野コレクション」は、写真でなく絵画からなっているが、性格としては横浜写真に近いものが多い。
展示室では、次の3つのような絵が混在していた。
① 日本人が外国向けを意識して描いた絵
② 来日した外国人が描いた絵
③ 日本人が描いた、外国向けではないが西洋画に影響源のある絵
このうち①②には、横浜写真に共通するモチーフが多い。とくに、①のような外国人向けの作品にはローマ字のサインが入っており、横浜写真と重複する受容層を見越したものだとわかる。
欧米人が興味をいだく、欧米の求める日本像が、そこには投影されている。
違いもある。
横浜写真の、とくに当世風俗を写したものに関しては、演出過多の「ヤラセ」写真が非常に多い。そのぎこちなさもまた愉しいのだが、当時の人びとはただでさえ、カメラを向けられることに馴れていなかったわけだから、やっぱり硬さがある。
その点、絵は最初から絵空事であり、いわばすべてが演出となるために、ちぐはぐな感をかえって自在に抑えこむことができる。
描かれた明治の人びとは、同時代の写真よりもよほどいきいきとしていて、こちらのほうがより「真」を「写」していたのではとすら思われるものも多くあった。
「絵空事」とはいえ、展示作品のほとんどは細部まで密に描きこまれており、克明な記録として高い資料的価値を兼ね備えてもいる。
そういった種のものと、③の一部の作品——明治の末に起こった水彩画ブームの作家たち、丸山晩霞や三宅克己、大下藤次郎による水彩風景画と①②とは、文脈がかなり異なる。
そのはずなのだが、会場では違和感なく並ぶ。①②にも水彩が多く含まれている点はまずありつつも、それだけでは説明のつかない親和性である……
①から③に通底するものが、なにかあるとすれば……それはどこか懐かしく、温かな感情を喚起する点だろうか。
明治は遠くなりにけり——中村草田男がそう詠んだのは、昭和6年。さらに遠くなってしまった。
しかしまあ、遠すぎるからこそ、像はぼやけ、角(かど)は丸くとれて、やさしいものとして映る面があるのかもしれない。
本展の作品を観て、そんなことを想う。(つづく)
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