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新宿の画家たち ―出会う、暮らす、描く。―:2 /新宿歴史博物館

承前

 佐伯祐三の連作《下落合風景》の1枚を、この館が所蔵している。意外にも本展には出ていなかったが、佐伯もまたこの土地に住み、好んで歩き回り、作品に描いた画家である。
 佐伯に関連する展示品は、林檎のデッサンとライフマスク、愛用の卓上ベル、佐伯家の表札、そしてイーゼルであった。
 イーゼルは、同じく下落合画家のひとりである曾宮(そみや)一念に贈られたもの。佐伯はパリへと発つ前に曾宮のもとを訪れ、黒いニワトリ、アケビの木2本とともにこのイーゼルを持ってきたのだという。本展のテーマを象徴する資料といえよう。
 曾宮は、中村彝(つね)を慕って下落合にやってきた。彝や佐伯、さらには松本竣介ともつながりをもつ、下落合画家のハブのような存在である。
 随筆もよくして、彼らとの交友を書きとどめた。上記のエピソードも、曾宮自身が書き残したもの。
 彝の没後、曾宮は鶴田吾郎らとともに彝の顕彰に努め、アトリエの保存に尽力した。鶴田もやはり下落合画家で、彝と同じ中村屋サロンの一員であった。

 新宿区立の林芙美子記念館、佐伯祐三アトリエ記念館、中村彝アトリエ記念館の建物に共通するのは、もとの主(あるじ)の早逝後もそのまま残され、空襲を免れて現存していることである。
 芙美子邸や佐伯のアトリエ兼住居は、配偶者が長生きしたこともあって、残った。
 彝のアトリエ兼住居に関しては、周囲の人びとの協力によって残った。これはひとえに彝の人徳や、夭折の才能を惜しむ気持ちがあってなせるわざであろうが、近隣に画家の仲間がたくさんいた土地柄に由来する成果ともいえよう。

 これら画家の輪のなかに名前は挙がらないものの、水彩・油彩から新版画に転じた吉田博もまた、佐伯のご近所さんだった。
 本展では、同じ新宿区内の神楽坂を描いた《神楽坂通り 雨後の夜(東京十二題)》(昭和4年)、博の息子・遠志による《夜の東京 新宿》(昭和13年)を展示。

 ※上記リンクはいずれも新宿区所蔵ではないが、展示品とは同じ作品。

 遠志のこの作は初見で、ネオンサインがまだない、人肌のあたたかさがある宵闇の繁華街の情緒に、心惹かれるものがあった。

 他にも、愛日尋常高等小学校(現・新宿区立愛日小学校=牛込神楽坂駅近く)で中村彝と同級生であった洋画家・野田半三についても言及。小学校の同級から洋画家が2人も出ているとは、驚きである。
 野田の作品は小学校近くの自宅に多数残されていたが、自宅もろとも空襲ですべて燃えてしまい、現存する作品はきわめて少ないという。こういった、その地域の埋もれた存在を取り上げるのは、公立館の展示ならではと思った。


 —―下落合の画家たちは、団体を立ち上げたり、中村屋のようにサロンを形成したりといったことがとりわけてなかったために、本展も素描的なものとはなっている。それだけに、多様性があって楽しめる展示であった。

新宿歴史博物館のある曙橋界隈は、坂と階段と路地の街。ふと見れば、魅かれる小径があちこちに


 ※松本竣介は下落合の風景に多く取材しているが、竣介に関する展示品は2点を数えるのみ。
 前回触れた林芙美子著、竣介装幀・挿絵の『一粒の葡萄』と、妻・禎子とともに編集した雑誌『雑記帳』であった。『雑記帳』には、曾宮一念、佐伯米子、里見勝蔵といった下落合画家が寄稿している。
   竣介は重要な存在ながら、区の所蔵品としては手薄ということだろう。下落合を描いた竣介の作品がなにかしら加わると、欠けたピースが埋まりそうだ。


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