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京都・南山城の仏像 /東京国立博物館

  「南山城(みなみやましろ)」とは、山城国の南、つまり現在の京都府南部一帯を指す。大和国=奈良県に接し、京よりは奈良のほうに程近いこの地域は、南北双方からの影響を受けた仏教美術の宝庫となっている。
 東京国立博物館で先月から開催中の「京都・南山城の仏像」は、ほぼご当地の奈良国立博物館で今夏開催されていた「聖地  南山城」展の巡回……ではなく、規模を縮小し再構成した「似て非なる」ものとなっている。

 奈良博では全展示室を使い、考古資料なども駆使した143件からなる包括的な内容、東博では本館・大階段下の「特5」展示室を会場とし、平安・鎌倉の仏像のみ18件の小展示。東博に来ている作品は、ほとんどが奈良博にも出陳された。
 名称からして異なる別物の展示とはいえ、純粋な巡回展だと勘違いして東博に向かう方はそれなりにいらっしゃるのではと、心配のひとつもしたくなる。なかなかグレーゾーン(?)なことをするなぁ……

 しかし、そのぶんというべきか、このほど東下りされているみほとけたちは、いずれ劣らぬ名仏ぞろい。南山城地区選抜の豪華キャストによって、平安時代の仏像の流れを素描しようというのが東京展のテーマである。
 たしかに、そのようなテーマでくくれば、両展のそもそもの発端である浄瑠璃寺の九体阿弥陀を中心とした少数精鋭で、展示のストーリーが組める。
 そのうえ「平安仏」主体ということであれば、奈良博でも出品の叶わなかった南山城の主要な古寺・古仏である大御堂観音寺が擁する天平仏、蟹満寺が擁する白鳳仏の不在も、まったく気にならない。

 展示室では、恭仁京の跡を見下ろす海住山寺・奥の院からやってきた《十一面観音菩薩立像》(平安時代・9世紀  重文)に始まり、当尾(とうの)の里にある岩船寺の《普賢菩薩騎象像》(平安時代・11世紀  重文)、そこから徒歩圏内の極楽浄土・浄瑠璃寺におわす《阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち)》(平安時代・12世紀  国宝)、山を下りた平野部の寿宝寺《千手観音菩薩立像》(平安時代・12世紀  重文)など、9世紀から13世紀まで各期の最高水準の作例がバランスよく、一堂に会していた。

 いまご紹介したのは、いずれも、過去に現地に赴いたことのあるお寺だ。
 これらのみほとけの前に立つと、巡礼時の美しい記憶がたちまち呼び起こされた。
 ああ、早く東京を離れて、住み馴れたお堂のなかで、またお会いしたいな……そんなことばかり、思うのであった。

 浄瑠璃寺の九体阿弥陀に正面から向き合う形で、すっくと立っていたのは、宇治田原町・禅定寺の巨像《十一面観音菩薩立像》(平安時代・10世紀  重文)。高さ3メートルにも及ぶ。
 その裏手で展示の最後を飾っていたのは、木津川市・神童寺の《不動明王立像》(平安時代・12世紀  重文)だった。

 茶畑のなかにあるという禅定寺、山中の神童寺とも、わたしがまだ参拝できていないお寺。アクセスが不便ながら、非常に多くの古仏を擁するという共通点がある。ますます、行ってみたくなった。


 ——本展は、現代版の「出開帳(でがいちょう)」ともいえよう。
 出開帳の効能のひとつに、みほとけをとおして、みほとけのいる場所・土地に思いを馳せる契機となることが挙げられる。
 一度でも旅したことのある地であれば、また訪ねたくなる。
 まったく新しいご縁となるのであれば、まだ見ぬ地への思慕が芽生え、大きくなっていく……といったことがあろう。

 道祖神ならぬ平安の古仏たちが、手招きをしている——わたしには、そう思えた。
 コンパクトではあっても魅力的なお像がそろっていて、東京の人びとを南山城路へといざなうには、まことに充分な内容の展示であった。

東博のお庭でも、キンモクセイがいま盛りなり。いい季節になりました




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