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宮城・丸森「うるう日」さんぽ :1

 福島県と境を接する宮城県丸森町には、観光の柱が3つもある。それらを網羅した、豪華日帰り旅の報告である。

 行きの新幹線の下車は、福島駅のほうだった。阿武隈急行に揺られ、東北で第二の大河・阿武隈川の流れに沿って福島平野を北上していく。県境が近づくあたりで阿武隈山地に入り、東へ。50分ほどで到着。

丸森駅

 先ほどまで車窓からみえていた阿武隈川を、今度は、舟に乗って上り下りする。この「阿武隈ライン舟下り」が、丸森のよく知られた観光資源となっている。

美しき赤い鉄橋・丸森橋は昭和4年竣工。写真右に、阿武隈ライン舟下りの舟と事務所がみえる
反対側から撮影。いざ乗船
吹きさらしではなく、透明なアクリル板が入っている。こたつ舟で、寒さ対策は万全
船頭さんの方言による軽妙なトークと歌謡曲をバックに、先ほど鉄道で来たルートを舟で逆行

 ここでのお目当ては、もうひとつあった。こたつに入りながら食べる、地元産イノシシの「しし鍋」である。味噌仕立てで、肉のうまみがすごい。2月29日、特別な「肉(29)の日」にふさわしい、特別な猪肉料理であった。

しし鍋ビフォー
アフター

 舟下りのハイライトのひとつが「弘法の噴水」。
 その昔、弘法大師が錫杖でひと突きしたところ、そこから水がこんこん湧いて……という、名水や温泉地の由来として日本全国で語り継がれてきた類型的な逸話が残るが、珍しいことに、こちらは噴水だ。

 間欠泉とは異なり、四六時中、弧を描いている。もちろんポンプ式ではなく、山から流れ落ちる際の高低差によって、この現象が起こっているという。
 たしかに神秘的な光景で、こういったものに弘法大師の伝説を付会したくなる気持ちは、よく理解できた。

 丸森は、2019年10月の台風19号による集中豪雨で甚大な被害を受けた。阿武隈川の水位は10メートルも上がり、堤防は決壊、市街地は浸水した。
 ライン舟下りは、被災前はさらに先まで行けたそうだが、現在は途中で引き返すコースのみ運行している。それでもボリュームは充分で、しし鍋もきれいに完食できたのであった。

この先の川底が高くなり、通行が危険になった
観音像まで、水位は上昇したのだという

 赤い丸森橋のたもとまで戻り、その下を往復して、1時間のツアーが終了。

鳥たちが大挙してお出迎え
文福タヌキもお出迎え

 このタヌキとの因果関係は不明ながら、後方の看板に書かれている「齋理屋敷」は、阿武隈ライン舟下りと並ぶ丸森の観光資源。阿武隈川の水運により財をなした、町いちばんの豪商・齋藤理助の旧邸宅・店舗である。こちらも、20数年ぶりに拝見してきた。

これでも鰻の寝床の間口であり、敷地はかなり広い。災害復旧工事の真っ只中で、右の建物にあるカフェは休業中だった
「見せる修復」というのだろうか。工程が理解できて、これはこれでたいへん貴重
右の「居宅」1階には雛飾りが。2階では、当主の人格者ぶりを示すハートウォーミングなエピソードが紹介されていた
齋藤家は戦後まもなく、怪しい粉を売る事業を山師に持ちかけられ、失敗。その後、屋敷は町に寄贈され「蔵の郷土館」となった。大正期を中心とする12棟の建物が、国登録有形文化財の指定を受けている
蔵ごとに、テーマを分けた展示となっている。こちらは「業の蔵」。例の怪しい粉も、こちらに展示
「時の蔵」。調度品や齋藤家の古写真など
「住の蔵」2階の壁には、住み込みの番頭であった少年たちによる落書きがびっしり。世相を示すものから、おふざけ、卑猥なものまで。まさか、後の世にこうして晒されようとは……当人たちは、草葉の陰で赤面だろう
石風呂。なぜか、門のすぐ脇にある。修復工事中のため入れず

 家具や調度、商売道具、帳面といったものから、子どもが遊んだおもちゃ、夫人の使いかけの化粧品、お菓子のパッケージまで。大正期の裕福な商家の生活や経営を知ることのできる資料が、齋理屋敷にはまるごと残っていた。
 以前うかがった際は夜間の公開で、滞在時間も短かったため、改めて来られて、たいへん満足であった。(つづく)


蔵に挟まれた小径



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