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深川小津さんぽ :1

 神奈川近代文学館「生誕120年 没後60年 小津安二郎展」について、遅ればせながら書いていくにあたり、江東区・古石場文化センターの展示を観ておきたいなと思いついた。
 最寄りの地下鉄東西線・門前仲町駅で下車。地上に出れば、そこは富岡八幡宮の門前町である。
 せっかくなので、参詣。
 折しも例大祭の最終日で、最も盛り上がりをみせる神輿渡御はすでに終わっていたけれど、いくつかの出店は残っており、法被をまとった男たちの姿もあった。祭のあとの寂しさと余熱が混在していた。

 日本一大きいという神輿を、間近で拝見。つい先月、八坂神社の神輿を同じように間近で拝見していたから、どれほど大きいかがよくわかった。
 巨大なだけでなく、瑞鳥・霊獣の彫り物の目にはダイヤモンドが1つずつ、頂点にいる鳳凰のトサカにはルビーが何百個も嵌め込まれている。ど派手なお祭りに担ぎだされる神輿としては、これくらいの荘厳が必要なのだろう。
 小津の日記に、この祭に関する記述は思いのほか少ない。劇中にも、にぎやかなお祭りのシーンなんてあったかどうか……思い浮かばない。
 ハレとケならばケ、猥雑と静寂ならば静寂を好んだ人であろうから、深川生まれ・深川育ちの江戸っ子とて、意外な感はないのだが。

 富岡八幡宮から北西へ徒歩10分弱、清澄通り沿いに、小津安二郎の生誕地を示す解説板が立てられている。9歳で松阪へ移るまで、小津はここ深川で育った。看板を除いて、往時を偲ぶものはない。
 周辺には史跡が多い。
 小津家の跡からすぐの仙台堀川を渡れば、清澄庭園や曲亭馬琴生誕の地がある。橋のたもとには、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅をスタートさせた採荼庵(さいとあん)の跡。

現代家屋の濡れ縁に腰掛ける、旅姿の芭蕉翁……夜はちょっと怖いだろう。左側を数分行けば、小津家の跡
こちらも小津家の跡から至近、深川えんま堂のテクノポップな閻魔さま。お賽銭を入れると、しゃべりだす

 清澄通りを渡れば、母校・区立明治小学校や父が眠る陽岳寺はすぐそこ。さらにまっすぐ行くと、富岡八幡宮の裏手・冬木町に突き当たる。
 この一帯にはかつて、豪商・冬木屋上田家の屋敷があった。尾形光琳が滞在し、布地に秋草を染筆したこともある。いわゆる「冬木小袖」(東京国立博物館  重文)である。
 また、国宝《志野茶碗 銘 卯花墻》(三井記念美術館)も冬木屋の旧蔵で、近世にはこの地にあったとおぼしい。


 ——富岡八幡宮のあたりまで、戻ってきた。
 深川の八幡さまといえば、国技・相撲とのゆかりが深く、新横綱はかならずここで土俵入りを奉納する。境内には歴代横網の名を刻む「横綱力士碑」をはじめ、相撲にまつわる石碑が並ぶ。
 小津は、野球と相撲が大好きだった。ふんどしを巻いて腕組みをした、あどけない顔つきの写真も残っている。小津の相撲好きは、富岡八幡宮のお膝元で育ったことと無関係ではないだろう。
 また、生家の至近距離には芭蕉の古跡があったわけだが、小津も生涯に200句ほどの俳句を残している。こちらに関してもやはり、深川という土地とつなげて考えてみたくなる。
 いずれにしても小津は、江戸文化の残り香がそこかしこに漂う地域で生まれ育ったのであった。(つづく


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