みちのく いとしい仏たち:2 /東京ステーションギャラリー
(承前)
出品作の多くは近世の作だが、最初の章だけは、古代・中世の仏像によって構成されている。
瀬戸内寂聴さんが住職を務めた岩手県二戸市の天台寺は、古仏の宝庫。《如来立像》《伝吉祥天立像》(平安時代・11世紀)からは、みほとけの姿となってもなお、「木」そのものの息吹が感じられる。
これら個性的な地方仏たちは、みやこぶりの整った作行きとは一線を画している。たとえば、いま東博にやってきている中尊寺金色堂の諸像とは、えらく対照的だ。
土地に根ざして生み出された、土着性が濃厚な「傍流」の仏像。そのなかには、天台寺のような大寺院の古像ばかりではなく、その片隅や陰であったり、村の小さな祠や民家の仏壇にひっそりと伝わってきた近世・近代のお像もたくさんあった。
彼ら、いわば「傍流の傍流」が本展では主役に躍り出ているわけだが、その位置づけを明確にするために、「本流」とのあいだにいるこういった地方色の強い古像の紹介が重要になってくるのであろう。
類似する存在感を放っていたのが、展示の終盤に登場した円空仏。
第2章以降、専門の仏師ではない者の手になる近世の民間仏を浴びるように観てきたそのままの目で、改めて円空仏を観ると、その技巧の高さに驚かされる。
これまでは「円空仏=素朴」と刷り込みのように思わされていた節があったぶん、目から鱗が落ちる思いであった。
出品の円空仏は1体、青森県蓬田村の正法院が所蔵する《観音菩薩坐像》(江戸時代・1666年頃)のみであった。駆け出しの頃の作で、すなわち、後年の作よりも技巧的なきらいが目立つのは間違いないし、民間仏との比較対象としてはやや極端ともいえるけれど、それにしてもやはり、素人が一生懸命に彫り起こした民間仏とは、ちょっと違う雰囲気をもっている。
下の絵はがきの中央が、その円空仏。左右に隣合うのは作者不明の民間仏で……明らかに、円空仏によく似ている。というか、似せようと頑張った形跡が認められるではないか。
3体とも同じ正法院に所蔵されており、左右の民間仏は中央の円空仏を模して、このような造形となっているようだ。
3つのお像が居並ぶさまを拝見して思うのは、「崩し」のこと。
技巧を身につけたうえであえて「崩す」、あるいはさらに鍛錬と経験を積んで、まろやかに「崩れていく」——それが円空仏の造形だとすれば、民間仏のそれは、素人ゆえ技巧が足りずに、結果的にそうなっている、いうなれば「崩れたものができてしまった」状態。決定的な違いがあろう。
両者に関し、甲乙や白黒をはっきりさせたいわけではないが、やはり、かなり性質が異なるものとはいえそうだ。
民間仏の「素朴」や「いとしさ」を考えるうえで、非常に示唆的な事例だと思われた。
——以前書いたように、昨年は「『民間仏』の当たり年」であった。
そのなかでも中心、台風の目といえた本展をじっさいにまわってみて、少しだけ考えが変わった。
きっと「当たり年」ではなく、「元年」になる。
これから、まだ見ぬすぐれた民間仏が姿を表し、関連書籍がどんどん出て、展覧会はますます増えていき、研究は進展していくのではないか。そのような大きな期待をいだかせる展覧会であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?