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リアル(写実)のゆくえ:2 /平塚市美術館

承前

 本展のメインビジュアルに起用されているのは、安本亀八《相撲生人形(いきにんぎょう)》。
 いわずもがな、インパクトは絶大である。これをお目当てに、平塚を目指した人も多かったのでは。
 かく言うわたしも本作の実見は初めてで、全身像が拝める後期に合わせて訪問したのだった(前期は頭、腕、脚の一部のパーツのみ展示)。

 この像、かわいらしいミニチュアのフィギュアなどではなく等身大で、ふたりの男は、直立すればゆうに2メートルに届く。筋肉の動きや顔の表情など、細部も真に迫っている。
 それだけではない。私事ながら経験上、相撲には暗くとも、柔道ならばほんの少しだけわかる。そのような視点からすると……

 ・野見宿禰(のみのすくね)が繰り出さんとしている技は「大腰(おおごし)」(大腰は相撲にも、柔道にもある技)
 ・膝を屈めてから一気に跳ね上げて投げる、その一瞬を表している
 ・当麻蹶速(たいまのけはや)の体の重心は、宿禰の腰に完全に預けられ、引手も釣手もがっしり取られてしまっている。もはや、逃げられる余地はどこにもない

 ……とまあ、こういったことが、手にとるように理解できるのである。
 まさに、非の打ち所がない「リアル(写実)」。

 生身の人間と見紛うほど精巧な「生人形」は、幕末から明治にかけて巷で大流行。各地の見世物小屋で、観衆を大いに感嘆させた。その性格上、現存数がただでさえ少ない生人形の完品で、造形的な質も高く代表的な作例となっているのが、この《相撲生人形》である。
 生人形は、仏像や神像のように信仰対象でもなければ、アートとしての彫刻とも異なる。
 高村光雲は幕末までは仏師、明治に入っては彫刻家となった過渡期の造形作家であるが、光雲の書くところによると、彼をとりまく仏師たちはみな、生人形師に対しては素直に敬慕の念をいだいていたという。現代のわれわれが考えるほど、双方のあいだに区別・差別の意識はなかった。
 平櫛田中が最初に師事したのは、生人形師だった。代表作《鏡獅子》にみられる、人体の仕組み・動きを厳密に把握しようとする制作姿勢からは、生人形師見習いとしての若き日の研鑽を思わずにはいられない(《鏡獅子》とその試作像の写真)。
 それなのに、生人形はいつのまにか「美術」の枠組みから弾き出され、その外に置かれることとなったのであった。

 《相撲生人形》はいま、熊本市現代美術館に所蔵されている。
 早くに太平洋を渡り、長らくアメリカ国内にあったものの、縁あって2006年に里帰りを果たしたのだ。
 作者・安本亀八が熊本の出だという背景はあるにしても、帰ってきた場所が開館まもない真新しい「美術館」(2002年開館)、しかも「現代美術館」というのは、どこか暗示的にも思える。

 「リアル(写実)のゆくえ」展では、《相撲生人形》を皮切りにいくつかの生人形、続いてその周囲に高村光雲や平櫛田中の作品が並べられていた。「生人形-仏像-彫刻作品」の失われた連環を浮かび上がらせ、再接続しようという試みである。
 そしてその延長線上に、現代作家の取り組みをさらに接続しようともされていた。
 仏像や仏壇・仏具の残欠を寄せ集め、まったく別の造形物に組み上げる小谷元彦。義手製作の専門的技術を応用して、表現としての人体造形を追求する佐藤洋二。ほかにも、リアル(写実)を希求し、自己をみつめて立体表現に取り組む現代作家のさまざまな傾向の作品が展示されていた。

 現代美術についてはオムニバス的な展示であったが、カオスの感をいだかせず、逆に相互を結ぶうっすらとした糸のようなものが感じられたのも確か。企画者の術中に、すっかりはめられてしまった。
 もっともその「うっすら」というのは、今回出された分厚い図録を読みこんだり、個々の作家についてよく調べて作品を観ていくほどに、霧が晴れていくのであろう。
 そこまでは手が回らないけれど、気になる作家さんを何人か見つけることもできたし、今日のところはよしとしようか。
 「リアル(写実)のゆくえ」展、第3弾はいつになるだろうか。ばっちこい、である。


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