見出し画像

53. 大事にしていたコミュニティを去るとき

こんばんは。


「 去り方は大事 」

この言葉に縛られて、自分を追い込んでいませんか。
こうあるべき、と思って自分で自分の行動を縛り付けていないですか。

私は世間や本でよく言われているような常識に、自分でも気づかないうちに飲み込まれていたのかもしれません。

やっと大きな波が過ぎ去って、その後の静けさの中で色々なことを考えます。その静けさの中には、大きな波が残していった流木や、どこから運ばれてきたのか分からないような物が沢山浮いています。

私は、沢山浮いているものを毎日一つずつ観察して、自分の中に取り込んでいくような作業をしているようです。

その作業の中では沢山の気づきがあって、これまで見えなかった物がパッと見えてきたり、毎日新しい自分になっていくようです。浮いている物のほとんどは、好んで観察したり拾ったりしないような物ばかりです。なので、それなりの体力は使うのですが、その作業が終わった後に感じる昔の自分よりも前に進んでいるような感覚は嫌いになれません。

冒頭でも書きましたが、そういった作業の中で気づいたことがあります。

世間の常識というか、これが大切だと世間で言われていることに縛られすぎているんじゃないかと。

「常識に縛られるな」という言葉は、本でよく目にしてきました。その言葉に当時は「自分は縛られていないから大丈夫!」と思っていました。ですが今思うと、ただの常識ガチガチ人間である、と思います。

「去り際にその人の本性が現れる」

この言葉も世間でよく浸透している言葉ですよね。
私は、これを疑ったことはありません。

ただ、これは自分の心を失くしてまでやるような事ではないと思います。

自分が所属して大事にしてきたコミュニティを出る時の理由は人それぞれです。ぶつかった挙句に、お互いに分かり合えずに去る選択をすることもあります。去る選択をした後、残された期間でその組織の為にどこまでの熱量で仕事をするのか。

必要最低限の仕事をして去っていくのか。
それとも、最後の瞬間まで熱量を注ぎ込むのか。

私が出そうとしている答えは、これです。

それまで、その組織が良くなる為に全力をかけて動いてきた、と自分が言えるならそれで充分。

この答えが正解か不正解かは、読んでいただく人の数だけ答えがあるのかなと思います。

読んでいただいた方。
宜しければ、ぜひ、あなたの思う答えをも教えてください。
コメントして頂けるととても嬉しいです。


それでは、明日から月曜日が始まります。
1週間また頑張っていきましょう!

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?