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サイクロンおじさんon the train

あれは私がまだ大学生になりたての頃だったと思います。大学の授業を終えた帰り道、夕方の電車に乗りました。運よく座れたのは良いものの、どこかの路線でトラブルが発生したらしく、電車はなかなか動き出しませんでした。私は急ぐ用事もなかったので、そのまま座って待っていたところ、振り替え輸送と思われる大きな人だかりが、ドッと電車内になだれ込んできました。みるみるうちに車内は学生や会社帰りの会社員などでいっぱいになりました。

これ以上乗り切れないくらいに人が乗り込んだあたりで、ようやく電車は動き出しました。これまで経験したことがないくらいにぎゅうぎゅうの車内でしたが、私は座席に座っていたので気は楽でした。少しだけ前かがみになって目をつぶり、自分の降りる駅まで殻にこもっていました。

電車は思いの外順調に走っていきました。相変わらず人でパンパンでしたが、途中で止まることもなく私の降りる駅までやってきました。駅名のアナウンスが鳴り、電車は徐々にスピードを落としていきます。でもその頃私は夢うつつ。電車が停止して少したってから自分が降りるべき駅に到着したことに気づきました。

私は慌てて立ち上がりました。そしてハッとしました。自分の目の前に広がる人の壁がとてつもなく厚いことに気づいたからです。「まずい、急がないとドアが閉まってしまうのに!」気持ちは急きます。人混みをどう攻略したら良いのか見当もつきませんでしたが、迷っている暇はありません。どうにか見つけた人の隙間という隙間をかいくぐって、ドアの方へ進もうとしました。

でも、都会満員電車は甘くありません。実は何人か浮いていたんじゃないかと思うくらいの人の群れです。スタートで出遅れたこともあり、50センチも進めないうちにドアは閉まってしまいました。
「次の駅では絶対降りないと。」
人と人と人と人とに挟まれながら、次はもっと強い意志を持って突き進むことを心に誓いました。

ようやく次の駅に着きました。私は「降ります!」と声を上げて進みました。しかし、先はまだまだ遠かった。1メートル程進むのがやっとで、またもやあの厚い壁に阻まれてしまいました。あと3、4人抜けばドアの前というところで無情にもドアは閉まってしまいました「あぁ…」という情けない声が無意識のうちにもれ、人でごった返す車内に消えていきました。

当時、まだ電車通学に慣れていなかった私はだんだんと心細くなっていきました。無限に降りられない満員電車に、全然知らない駅まで運ばれてしまっている。どうにか、どうにか次こそ降りたいと強く願いました。

次の駅に着いた時、私はさっきよりも大きな声で「降ります!」と叫び、一歩を踏み出そうとしました。
すると突然、私の目の前に立っていた会社員と思しきおじさんが、大きく腰をくねらせ始めました。そして、おじさんはお尻で巨大な円をぐるんぐるんと高速で描き出し……たのを認めた瞬間、私はおじさんのお尻が作り出した強大な渦の回転力に巻き込まれ、ものすごい勢いで人混みの中を横っ飛びに押し出されていきました。気づいた時には大きく開いた電車のドアが私の目の前にありました。

こうして私は無事、駅のホームに降り立つことができました。半分あっけにとられ、半分電車から脱出できたことに安堵しながら、聞いたこともない駅のホームで乗っていた電車を見送りました。

きっと中にはあのスーツのおじさんの行為を痴漢と感じる人もいるかもしれません。幸い、私は持っていたバッグのおかげでおじさんのお尻に自分の身体をなぞられることはありませんでしたし、あの回転はおじさんなりの善意からの行動だと思うようにしています。
おじさんの行動を推奨する意図はありませんが、あの日あの時あの場所に、あのおじさんがいなかったら、私はいつまでも電車から降りられないまま、どこまで行ってしまっていたか分かりません。

あれから何年も経ちましたが、満員電車に乗ったとき、ごくたまに思い出します。おじさんのお尻の、あの高速回転を。


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