「ひとを救える!」に対して、物申す!
こんにちは、天野こだちです。
昨日、Twitter(と言い張る)に投下していた連ツイを、改めてまとめて投稿します。
私は、自分でツイートを読み返せば気付けることを、ずっと無視している人に対して、ブチ切れただけです。
文章を読み込むタイプの人なら、たいていは気付くことなのに、「何故自分で気付かない!」という疑問、怒り、不信感など。
あるいは拒絶。
「イタイ人」に見えて仕方ない、という話。
「人を救えるなんて、一生涯にたった一人いたら良い方だよ」
専門学校時代のクラスメイトが、私に教えてくれた言葉。
彼女は入学と同時期に父親を亡くし、数年後に同居の祖母を亡くした後だったので、痛いほど実感しかこもっていなかった。
私にも救いたい人がいた。
救えるのなら救いたかった。
それが出来ないかと模索し、もがき続けるのが人間なんだ。
そして救えたかどうかは、自分が死ぬ時に分かれば良い方だ。
救ったつもりが救えていなかった、なんて、よくある話。
下の連ツイから、まとめと補足しています。
私は自分が煙たがられることを言っていると、知っている。
だからこそ、遠慮も忖度もしない。
ただの人間がただの人間を「救える」という驕り
手を差し伸べれば、手っ取り早く「私は必要とされている!」と、実感出来るから。
誰かを「救ってる!」と、思い込めるから。
ひいては、自分の存在価値や存在意義、生まれてきた理由、自分を肯定する材料に出来るから。
そりゃ気持ちいいかも知れないね。
第三者から見たら、「イタイ人」。
見る人が見れば、ただの「イタイ人」。
救えば自分も救われる、は、順序がおかしい
金銭的なものだと、募金や、寄付。
「自分の生活が安定していること」が、大前提の行為だ。
「自分の生活が安定する以上の収入があり、且つ、余剰で自分に対する投資をし、更にその余剰で(募金/寄付)をする」ことが、いわゆる「偽善」の正体。
生活が安定していないのに、自分の食い扶持を切り詰めて他人に、なんて、美徳でも何でもない。
自分が切り詰めたものを、施しとして与えて満足するなら、浅はかだ。
受け取った相手がどう思うんだろう?
相手は自分のこと知らないから、気にしない?
ありがたがると思うなら、やはり浅はかなんだろう。
上辺だけの「ありがとう」が欲しいの?
運命共同体、一蓮托生、死なばもろとも
みんな類義語だけど、全て方向の違う言葉だ。
自分は救っているつもり、でも、本当は誰も救われていない。
自分はおろか、他人なんて一人も救われてなどいない。
……かも知れない。
極論、餓死寸前のあなたが、誰かにおにぎりを「どうぞ」と差し出したとして、相手は受け取るかな?
あなただったら、受け取るの?
目の前にいる人が、餓死寸前だって見れば分かる程度なのに?
画面の向こうだから、遠方だから、「私が何してようと関係ないから」?
そっくりそのまま、あなたもそう思われてるかもしれないね。
命がけで伸ばした手を取ったのが、沈みかけているあなたの船だった。
そこで一瞬助かったとして、相手を船に引き上げた途端に沈んだら、「救ったことにはならない」。
私もかつてはそうだったからこそ、物申す
自分に都合のいい理由をつけて、私は誰かを「救ってるんだ」といい気になっていた。
理由という名の「口実」。
本当は誰一人、自分ですら救ってやしなかったのに。
自分の声に耳をふさいで、自分にとって痛い現実から目を背けて、感覚を麻痺させて、それで私は、誰かを「救ってるんだ!」と思い込みたかった。
本当は誰よりも、私自身が救われたかったのに。
私が私を抱きしめる度に、「思い込みたかった自分」も見つめ直している。
あの時の私は、そうするしかなかった。
けれど……、という、自分への旅路。
時間が経ったからこそ辿れる、長い長い自分への懺悔。
だから、物申す。
自分の中の自分に、目を背け続けている人たちに。
特に同業で、メニューを提供している側の人間。
自分の矛盾は、いつでも自分の中で見ている
自分が都合よく見ないフリをしている自分の現実は、いつだって自分の中にある。
毎日毎分毎秒、自分の中で自分を見ている。
自分が無視し続けていることも、無視され続けていることも、責め続けていることも、責められ続けていることも、全部。
自分が抱えている矛盾を、誰かにどうにかしてもらいたいからと言って、他人に押し付けるのはどうだろう。
他人が抱えている矛盾を、あなたにどうにかしてもらいたいからと、あなたに押し付けられたら?
どう思う?
本当は、「押し付けられた誰かの何か」は、「あなたの中で悲鳴を上げているあなた自身」の、鏡なのかも知れない。
そんなことは、ザラにある。
「他人は自分の鏡だ」とは、よく言ったものだ。
先人たちも、やっぱりここにしかたどり着かなかったんだろう。
だからインナーセルフをケアするのだ
自分のツイート、何気ないつぶやきから宣伝ツイートまで、読み返してみるといい。
この習慣がない人は、自分の矛盾に気付きにくいのかもしれない。
時々さかのぼって、読んでみるといい。
「自分が何にひっかかっているか」は、文章を読み込んでいる人なら、容易に読解出来る、はず。
これも私が、何度かツイートしているけど。
繰り返し出てくる単語、言い回し、特に「巧妙にポジティブに装ったネガティブな表現」の中に、矛盾が出ていることを読み解けば、道は拓ける。
……自分が押し殺している、「悲鳴を上げている自分」なのだから。
インナーセルフが子供時代だけだと思ったら、大違いだよ。
最後に
自己矛盾も過ぎると、自己欺瞞になるんだなと、見てて辛くなる。
「こんなに辛い! って自分で言っているのに、分からないのか」って。
無視されるのって、辛くない?
自分を無視する人に、どう思った??
自分で自分に、同時に強いていることだけど、どう??
これがただの事実だから、怖いんだよ。
「イタイ人」に成り下がってしまっている、という事実。
ということをお伝えしたかった。
自分の悲鳴に気付くのは、陥っているパターンから抜け出す、ヒントでもあるから。
2024年2月1日
天野こだち
インナーセルフケアセッション有り〼。
自分の中の自分に気付き、目を向け、認め、抱きしめ、ねぎらい、称え、ともに癒される。
という全てのプロセスを、アシストしています。
あくまでも、ケアするのはご依頼者様ご自身。
自分で自分に、よしよしする作業です。
私は傍にいて、言葉とイメージで誘導しています。
インナーセルフが求めていることを、言葉にしてお伝えする役目です。
※誘導型ワークをすることもあります。
インナーセルフケアセッションは、受けられる方に条件があります。
メニュー内に記載していますので、ご確認の上、ご依頼下さいね。
霊感セッションなど、他のメニューはこちらから。
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