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杉尾秀哉参議院議員、救助と被災地支援に忙殺される国と地方公共団体のリソースをほぼ無意味な要請で消費させる

阪神淡路大震災の思い出とともに杉尾秀哉参議院議員のポストを嘆く

 新年早々発生した令和6年能登半島地震で改めて実感するのは様々な面で変わってきたということです。
 私は、阪神淡路大震災のときに兵庫県のある都市の避難所の小学校で運営のお手伝いをしていましたが、その小学校では校長の方針によって校庭内に自衛隊の車両を立ち入らせることができませんでした。他の避難所では校庭内に自衛隊の車両が入っていたことからも、自衛隊を校庭に入れても良いかどうかは校長の判断に委ねられ、自衛隊を校庭に入れないことを行政や世論がそれなりに黙認していたことがそのような結果となっていたのでしょう。
 そして、何より変わったのがマスコミでした。阪神淡路大震災当時の報道では、倒壊した家屋の中で長時間閉じ込められていた被災者が救助されたなどというニュースが非常に多く、給水など本当に被災者が求める情報は中々伝えられませんでした。テレビ朝日「ニュースステーション」で避難所や給水などの情報提供に努めるボランティアの姿を報じた後に久米宏さんが

「そういう情報を伝えることは私たちでは無理ですから非常に有益な活動だと思います。」

という趣旨の発言をなさったのは今でも忘れられません。避難を呼びかけるNHKのアナウンサーの絶叫やきめ細かい情報を提供するマスコミを見ると、時代が変わってきたことを強く感じます。
 ただ、その当時にマスコミにいらっしゃって未だにアップデートができていない方がいらっしゃいます。杉尾秀哉参議院議員です。

こうして各所が寸断されていることが分かります。遠回りのルートで予定場所に向かいますが、手前に「この先通行止め」の看板を設置するなど案内が欲しい。

@TeamSugioHideya

 キャリア官僚で要職を歴任してきた方が一期目の大仁田厚参議院議員とたまたま一緒の飛行機に乗った時のエピソードを聞いたことがあります。そのキャリア官僚の方は仕事で共に出張していたわけではないのに大仁田厚参議院議員に気を遣って話を聴いたり、身の回りの世話をしていたりしていたそうです。国のキャリア官僚ですからこうなのですから、地方公共団体の災害対応を担当している職員は杉尾秀哉参議院議員の要請に対してどのように返事をし、どのように対応するかをきめ細かく検討して対応したはずです。そして、その間に被災者に割くべきリソースが失われるわけです。
 東日本大震災の際の野党であった自由民主党の対応は違いました。要請をするべきであると考えた内容については、菅直人内閣や与党に伝えて政府に対応を委ねたのです。被災者から政治に対してなされた要望に議員個人として要請すれば次の選挙が少しは楽になると思われるのですが、国として統一的な対応をなすことを第一に考えていたのです。民主党を中心とする連合政権時の与党の党勢が衰え、自由民主党と公明党が政権を奪還したのは決して野党の一時の勢いや連合政権の失政などではなく、野党がなすべきことをやっていて、それをしっかりと見て評価する有権者が多かったからなのです。今回の杉尾秀哉参議院議員の対応と比較すると非常にわかりやすいと思います。