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世界は絵画だと思った

ツイッターにも書いたけれど、大竹伸朗の「世界は絵画だと思った」という言葉が、今朝このスポンジと出会って初めて理解できた気がした。

大竹伸朗を好きになったのは東京都現代美術館で行われた「全景 1955-2006」を見に行ったときからだ。

いまでも忘れられないのは展覧会最終日に大勢の人でごった返すなか、大竹伸朗本人が涼しい顔でダブ平&ニューシャネルの中で演奏していた。

見に来ている人のために演奏しているというより、自分がやりたいから演奏しているといった雰囲気で、作品はもちろんのこと本人の雰囲気からもファンになったという経緯がある。

以来、大竹伸朗はずっと好きで、今年は「大竹伸朗展」が行われる愛媛県美術館か富山県美術館のどちらかには足を運びたいとおもっている。

さて話は戻って使い古されたスポンジ、このスポンジはどこから来たのか周りを見渡すと目の前には車の整備工場があった。

オイルや汚れなどを存分に吸い込み、唯一無二の存在感を放つようにまでなったスポンジ。それは汚いのではなく育ったスポンジだ。

「汚れじゃなくて育った経年変化だと思ってもらえれば」、これは僕が古道具の汚れを気にされる方に伝えている言葉だったりする。

汚れと思えば汚れだし、ここまで成長した証だと思えば証になる。むしろ汚れ(証)は新品じゃないからこその醍醐味なんじゃないか、そんな気がする。

家の中はもちろん、外へ出て今日も絵画を感じていこう。人生って案外そういうことかもしれない。

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