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小木曽研(学部)では何を学べるか?

 今回は学部3年生がゼミ選択をする際に参考になるような話をします。

 大学院ゼミについて言えばスポーツ人類学/スポーツ社会学のどちらも指導していますが、学部では「スポーツ社会学」の授業を担当していることもあり、小木曽=「スポーツ社会学の先生」と思われているはずです。しかし、むしろ学部であるからこそ学生個々人の関心に合わせて、幅広いテーマを指導することを心がけています。さすがにバイオメカニクスや運動生理学、あるいはコーチンングを学びたいと言われると困ってしまいますが。

 では、結局のところ、小木曽研では何ができるのか(つまりどんな卒論を書くのか)?

 私は学部段階であまり厳しく形に囚われない方が良いと思っています。研究テーマとして、スポーツ、体育、身体、健康といったキーワードは外せないとしても、そこへのアプローチは哲学、歴史学、社会学、人類学、民俗学など、およそ人文社会科学と呼ばれる領域に軸足を置くならOK。なるべくどんなテーマでも頑張って指導するつもりです。ちなみに、これまでは部活動と教育、スポーツクラブ経営、武道、スポーツとジェンダー、スポーツボランティアなど、様々なテーマの卒論を見てきました。現在も、スポーツ漫画やイスラームとスポーツの関係に注目した研究などが行われています。

 小木曽研究室では、スポーツ(体育、遊び、身体)を通して人間や社会を理解することを大きなテーマとしていますから、そこからとんでもなくズレたテーマでない限りは、わりと何でもありです。あとは、自分自身が研究にかけられる時間や根気次第です。

 ところで、スポーツ人類学や社会学を学んで、論文を書いて、結局のところ何が身につくのでしょうか?これは確かに難しいです。言ってしまえば、人類学や社会学は実生活にすぐ役立つような、わかりやすい有用性が見出せないところに面白みがあります。いや、むしろ、学んでしまうことで実生活を生き難くする場合だってあります。

 それはなぜか?

 一つには、人類学や社会学があなたが世界を見る、その見方を少しずつ変えてしまうからです。これら二つの領域は似通ったところが確かにあります。人類学では自分とは違う異文化に暮らす他者の在り様を、社会学では自分の暮らす社会そのものの在り様を客観的に理解する、といった大まかな違いはあるにしても、いずれも自分自身や自分の生きる社会、あるいは自文化そのものをも見つめなおすことができる、といった効能があります。

 そうした自己-他者(異なるもの)の間の往還は、それまで省みることなどなかった自分の思考や行動のパターンを客観視することを迫ります。そうなった時、それまで当たり前に行なっていた価値判断に待ったがかかることになります。そして、いつもの決断や行動に疑問を抱くことになるかも知れません。確かにこうなると生活に支障が出る可能性もあるわけで。

 例えば、そもそも何で毎日シャワーを浴びなくてはならないんだ?なんて思い始めて、翌日から髪もボサボサ、体からも汗の匂いがするなんて状態で、大学に来たら、まず間違いなく友達は減っていくかも知れません。インド帰りの友人がシャワーは1週間に一度にしていたことを思い出します…。友達を止めることはありませんでしたが。

 これは極端な例とはいえ、重要なのは私たちが普通だと思っていることは、実は全然「普通」なんかじゃない、ということに気づくことです。実際、この数年、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックによって、私たちが当たり前だと思っていた日常生活は崩れ、ニューノーマルという新しい生活様式が始まりました。(しかし、最初は戸惑っていた私たちも、やがてはその「異常事態」に慣れて、例えば、外で必ずマスクを着用することにそれほど違和感を感じなくなりました。そして、コロナ以前に戻らなくても、さして困らずに生きていくことができることを知りました。これが良いかどうかはまた別の話です)

 物事の性質や意味を決まった見方でだけ見ることなく、もしかしたら別の仕方で理解することも可能なんじゃないか、とか、別の価値があるんじゃないかと考えてみることは、相対的に思考したり判断したりすることです。そうして、相対的な思考や判断を行うことで、揺るぎないと思っていた「秩序」にも、無数のほつれがあることに気づくのではないでしょうか。そして、世界には、無数の「社会」や「世界」や「文化」があることに思い至ることになります。そう、世界は「一」ではなく「多」なのです。これがポイントです。

 このような見方で人間や社会を理解しようとすることを「人類学的思考」とか「社会学的思考」と呼んでおきます。じゃあ、このような思考法が社会に出た時(ここでは役所、学校、企業などで働くことを想定します)、いったい何に役立つのか。まず、間違いなく言えるのは、大多数の人とは異なる発想でアイディアを出すことができるようになるはずです。また、先入観や偏見を遠ざけて、他人の話に耳を傾けることができるようになると思います。そうすれば、あなたは創造的な発案者であると同時に優れたファシリテーターの資質を兼ね備えることになります。

 「人類学的思考」や「社会学的思考」は、それさえあれば仕事が得られるというような「資格」にはなりません。ですが、もしもあなたがこのような考え方を身につけていれば、組織や集団にちょっとした違いを生み出す存在になれると思います。そして、そういう存在はあなたが目指すどんな場所においても、強く求められているのではないかと思います。

 スポーツや体育を考えるときにこうした「人類学的思考」や「社会学的思考」をインストールするとどうなるか。それはまた別の記事で書きたいと思います。

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